できた

今日、ヨガの時間、「ブリッジして片足を上げる」というのができた。

反対の足も上がった。

一度にではない。一度に上げたら両足である。



今まで、一瞬離れるだけだった。しかもこわごわ。

今日、何の前触れもなく、するっとできた。

今までの苦労は何やったんやろうと思うほど、簡単だった。


先週は、頭立ちの逆立ちができるようになった。

手指を後頭部で組んで、頭と肘でできた三角形を床に作り、そのまま逆立ちをする。

何ヶ月も、あんなにひどく転びながら練習したのに、できるときは「あれ?」というほどあっけなくできた。



さっき、ふと思った。


「ひょっとしたら、執着を手放すときもこんなものかしら。」

と。



「また考えてる」

「また気にしてる」

自分が手放せない思いが頭をもたげる度に、自分を責める。

「いけない、いけない。」

そして、自分を責めている自分に気づき、
「大丈夫。もう乗り越えたよ。終わったよ。がんばったね。」
そう言ってハートチャクラに手を当てる。

そうして日々葛藤しているときは、できないことをできるようになろうと必死になっているときに似ている。

実際そうだ。

「手放す」

「許す」

「解放する」

どれも相通じるものかもしれないが、そう簡単にできることではない。

ひとつの事柄についてできたとしても、また別の事柄が湧いて出てくる。

もちろん、最も捨てるべき執着の対象は「自分の存在」そのもので、これに対する執着が捨てられればゴールは近い。


言うは易し、行なうは難し。

難しくてできないことをしようとしているのだ。



いつか、するっとできるかしら。

今までの苦労は何やったんやろうと思うくらい、ふとある日、「何にもしがみつかない自分」が、そこに立っていたりするのかしら。