レイキと占い

「レイキ交流会」とか「占い」とかの書庫があるのにわざわざ「雑談」に入れているのは、ほんとにただの雑談だからだ。

「レイキ」のことは、またもっと時間のあるときにきちんと書くつもりでいる。
書くつもりでいるし、べつにHPをたちあげるつもりでいる。

できれば「占い」と「レイキ」はどこかで分けていたい気持ちがある。

実はわたくしは、「レイキ」というものの未来をかなり楽観的に考えている。
今よりもずっと社会に認知され、「レイキマスター」と呼ばれる人は「お習字の先生」や「ヨガの先生」のように職業として成り立つという未来図を描いているのだ。

「レイキを習いたいんだけど、あちこちあってどこに行ったらいいかしらねぇ。」
「あ、それirisaciónさんのとこでやってるわよ。」
「ええ?あのぼぉっとした人?」

なんていう会話が普通に交わされるようになると思っている。


しかし、「占い」というとちょっと違う。
どうも「胡散臭さ」が付きまとい、「レイキ」が普通に認知されるようになっても、「占い」は難しい気がする。

「ちょっとこのごろうまくいかなくて、誰かいい占い師さんいない?」
「あ、それirisaciónさんのところでやってるわよ。」
「ええ?どおりで変な人だと思ってたわ。」

って、占い師を探していながら占い師を変な人だと思う人がいたりするという昔からの構図が、わりとそのまま引き継がれそうな気がするのだ。

それもそうだと思う。

根拠は何かというと難しいが、そう思う。



そして、これは根拠にはならないと思うが一例として。

わたくしはレイキをするようになってから、占いの的中率がすこぶる上がった。
というより受信装置としての自分の精度が上がったというべきか。

しかし、占いをしていてレイキの役に立つかというと別にそんなことは何もない。
せいぜい、レイキ仲間としゃべるときのネタがあるというだけで、それならまじめに新聞を読んだり本を読んだりして、科学や社会のネタを持っていくほうがずっとインテリで素敵だ。


占いをやっていると、どうも自分の人生をうまく運べるようにしようというスケベ根性がうごめくような気がする。
「ありがとう」とか「ついてる」とか、そんな言葉を意図的に連発するのに似ている。
おまじないとか、新月の願いごととかも同じ感じだ。

それが悪いというのではない。
自分の人生をよりよく生きようとする姿勢は大事だし、毎日いいことがあったほうが楽しいに決まっている。
ただ、自分の根幹をどこかに置き去りにして「いいこと」だけを求めるのが怖いと思っているだけだ。

「占い」とか「おまじない」とか「引き寄せ」とか、人生をよりよくするためのそういった事柄は、何か空疎な「スピリチュアルごっこ」に陥る危険性をはらんでいると思う。

だいたい、人生で何の苦労もしないで面白おかしいことばかり起こるというのはありえないし、なんだって望んだものが手に入るということもありえない。

そんなだったら、わたくしは可愛い猫の一匹くらい飼っている。
(その程度の望みだが、同居人の希望で動物は飼えないので、かなえられない望みだ。)


逆に「レイキ」というものからみると、そういったことどものほとんどが、「べつにいい」気がする。
毎日いろいろあっても、まずレイキとつながり自分の根幹を見つめる。
そんなことを理想にできる。

叶わない望みも、思い通りにならない人生も、それは自分自身である宇宙の選んだことだと思える。
そして、解決するために努力したりする。(だいたいどっちでもよくなったりする)

もともと、宇宙は自分だし自分は宇宙なのだから、結局は本当の本当に自分が望んだものだけが自分の手元にやってくる。

それはベンツでもないし、素敵な彼でもないし、不労所得でもない。もちろんそれが本当に必要な人なら手に入るだろうけれど。

少なくとも今わたくしは、自分が元気でさえあれば100歳以上まで続けられる仕事を持っているし、
それとはべつに飯の種を稼いできてくれる男と同居してもいる。(世間では夫婦と言う)

それはレイキをする前からそうなのだが、そのことの意味は、占いではわからない。
もちろんレイキでわかるというのでもない。
ただ、レイキをすることで、そのことの真の意味に近づく姿勢を知ることができるように思う。

もちろんレイキだって、使い方によっては、占いやおまじないと同種の危険をはらんでいる。
いろんなサイトを見ていると「レイキに出会ってから、次々とうれしいことが起こりました」とか「オーラが見えるようになりました」とか、願望実現体験や神秘体験が、妙に強調されて書かれていたりする。

なんか変。

と、思う。

そんなふうになると、レイキも占いも同次元になる。

同次元にするんなら、占いを引き上げたいと思う。


生きることの真の意味を見つめるような、本当に大切なものに出会えるような占い。

レイキと響きあいながら、いつしかわたくしの占いもそんなふうに引き上げたいものである。