2014年1月新月 2回目

1月31日午前6時40分宝瓶宮10度55分の新月です。
今年の新月としては2回目、しかも元日に続いて1月の新月としても2回目です。
さらに今回は特別。旧暦のお正月になります。
この新月は、まさに東の地平線上から顔を出そうとしているところです。
一日の始まり、一年の始まり、新しいサイクルが始まります。
そしてこの新月巨蟹宮木星とインコンジャクト。この木星が磨羯宮の冥王星とタイトなオポジション冥王星のすぐ隣、コンジャンクション圏内には金星があり、同じく木星オポジションの位置関係です。この冥・金と木星オポジションには、白羊宮の天王星がスクエアの形で位置します。
そうです。Tスクエアです。
活動宮のTスクエアで、関係している星がこの上なく力の強い星です。そこに可憐な金星が加わって、一体何が起こるのでしょうか。とてもワクワクしますね。
しかも金星が絡んでいるということで、皆様のご関心の高い愛とお金ということになるでしょうか。
この時期は、お金であっても、人との関係であっても、一見何の役に立つのかということに奉仕してしまいそうな気がします。しかし、それはきっと浪費ではなく、これから先の何かに対する大切な投資になるのでしょう。いや、もちろん、何でもいいというわけではありません。それはその中身、目的などを精査すべきでしょう。そのうえで一所懸命奉仕、あるいは投資せざるをえないことは、それはきっとあなたに返ってくる何かのためになるはずです。ただ、お金に関しては、必ずしも得られるものがそれ相応の品物や利益とは限りません。お金を失うことで教訓を得るということもあります。また、愛に関しては、人に奉仕することで、奉仕の喜びそのものを知るということもあります。そもそも愛や奉仕については、見返りを求めた段階で、ある種の意味を失います。対価のある労働とは意味が異なりますので、わたくしたちはそれをよく知っておくべきでしょう。
さて、この組み合わせはスクエアですから、トラインやセクスタイルと違って、安定的なことではありません。さらに木星新月はインコンジャクトですから、自分の思うがままなのびのびした気持ちにさせてくれるものでもないでしょう。どんな状態であっても、ちょっとだけ、我慢しなければならないかもしれません。
この時はちょうど、MCが天蝎宮で、そのすぐ側に土星があります。土星の力を借りたこの我慢、かなりな収穫がありそうです。
ところで、我慢には二種類あると思います。
ある一定期間だけ頑張れば後は解放される我慢、解放されることなくずっと続く我慢。
今回の新月にともなう我慢は、前者のほうです。
少しだけ、ほんの少しだけ我慢してください。
いえ、この土星が金星と結ぶセプタイルという角度からいえば、この我慢はしようとしてする我慢ではなく、あなたの愛に組み込まれた我慢のようです。
ということは、自然に起こることですから、覚悟を決めて、我慢してください。(結局それです)
そしてその我慢が期限までしっかり保てるように後押ししてくれるのが天秤宮の火星です。土星とピッタリのセミセクスタイル。必ずや、あなたの力になってくれるでしょう。後の開花に向けて、情熱という栄養を、たっぷり注いでくれるでしょう。
とはいえ、我慢といっても、何も言わず何も聞かずじっとしているというわけではないのです。どうも居心地が悪いとか、どうもうまく納まらないとか、そういうことを工夫しておさめてくださいということです。
この新月と同じ宝瓶宮には水星がいて、天頂にある土星とは緩いスクエアです。また、土星と同じ天蝎宮にあるドラゴンヘッドとは緩いトラインを作っています。このドラゴンヘッド双魚宮海王星とトラインですから、もう、この際考えずに流れに任せてしまうのもいいかもしれないとも思えます。
つまりここから考えられることは、なんでもかでも我慢して飲み込まなくても、話すべき、伝えるべき大切なことは必ず伝わるようになっているということです。どんなに狭い場所でも、呼吸ができれば命はつながります。
その呼吸できるかどうかのポイントを、自分の損得や、思い込みに囚われて見失わないようにすることが大切なのです。
わたくしたちが人間関係で我慢したり奉仕したりする時に一番気をつけたいのは、本当は自分のために行っていることなのに、「相手のため」と思い込んでしまうことです。
本来奉仕は自分のために行うことです。それなのに、それを人様のためと信じきってしまうと、どうしようもない歪みを生み出してしまいます。
例えばわたくしたちは、自分が指導すべき立場の若い人や子どもに対して「あなたのために言ってるのよ」という言葉を使って苦言を呈することがあります。そういうときは本当は自分が不愉快だからそう言っているだけなのですが、その怒りの矛先を「あなたのために」と相手に振り向けているだけなのです。
また、家族や大切な人のお世話をするときもそうです。
自分が楽しく幸せを感じているときは「あの人のため」と言いつつ楽しみながら物事を行います。
ところがそれがだんだん負担になってくると、「あの人のため」という部分だけが残ってきます。そうなると、自分の行っていることが不毛なことに思えてきます。もちろん、その段階になるとすでに不毛なんですけどね。
奉仕というのは、そもそも自分のためのものです。「あの人のために」というのは、本当は、あくまで自分の活動の動機にしかすぎません。行動そのものが完全に相手のためであるというのは、わたくしたち自立した人間にはおよそできないことです。「あの人のために」行っていることの中には、必ずあなた自身の喜びがあります。相手の笑顔や感謝の言葉は、あなたの喜びであるはずです。
「どんなに苦労しても、この笑顔を見ると報われます」という言葉もしばしば聞かれます。
奉仕と感謝はセットのように思えます。
でも、本当は違うのですよ。
セットなのは奉仕と喜びです。相手の感謝は、そのセットにたいしてのみ有効です。
だいたい、いくら自分にとってありがたいことでも、それを相手が嫌々やっていたとしたら、ありがたいというより迷惑ですよね。そんなに嫌だったらやめてほしいと思うのが人情というものです。
そんなことになってしまわないうちに、疲れたら少しお休みしてみましょう。
あなたの大切な人は、あなたの喜びが存在しないような奉仕を求めません。
あなたの大切な人は、あなたの奉仕があなた自身の喜びでない限り、あなたに対して感謝の気持ちではなく負債の気持ちを負うでしょう。
負債の気持ちとは、「申し訳ない」という気持ちです。
そしてどんどん重荷を負い合う関係になってしまいます。
そして、互いに相手の気持ちを重荷として負い合ってしまい、互いに相手がいなければ重荷をどうしていいのかわからなくなる共依存の関係になってゆきます。
お互いに「相手がいなければ生きてゆけない」と感じることは、一見ロマンチックなようですが、人間というものはそういう相手などいなくても生きてゆけるものです。
なぜならわたくしたちの生活は、それぞれが存在し、自分の役割を普通にこなすことで様々な人の役に立ち、そして様々な人の働きに助けられて成り立っているからです。
社会に存在するということは、それだけで人様の役に立ち、人様に助けられているということです。
決まった一人の相手や家族はもちろん大切ですが、そこにどっぷりと浸ると、辛いだけです。
それがお好きな方はそれでいいかもしれません。その場合は当事者同士でお楽しみください。愚痴や八つ当たりで周囲の人を巻き込むことがないようになさってくださいね。
さて、長々と書いてまいりましたが、この新月での我慢は、そのような種類のことではありません。
目的があり、目安がきちんとしていて、少しの間窮屈な状態にいることで、次の十分な準備ができる我慢です。欲しいもののためにお金を貯めている我慢、一番素敵な日のためにダイエットする我慢、これって、その行動そのものが楽しいですよね。
大切な人のための行いも同じです。少しだけ我慢を楽しむことで、大きく美しい花が手に入ります。
大切なのは、花も我慢も両方楽しむことです。楽しめないなら、他の楽しめることを探したほうがいいのかもしれませんが、この時期訪れるものは必要なことだけです。この際覚悟を決めて、ちょっとしたアトラクションのつもりで、我慢を楽しんでくださいね。