趣味か仕事か、仕事か趣味か…

久しぶりにこっちの書庫も更新しましょう。
5月はアタシの所属している書道会の、年に二回の試験のうちの一回目。(二回目は10月)
で、去年アタシは師範の上の教師ってのをとっちゃったので、毛筆の試験は卒業したわけ。
これでもう試験受けなくていいやとか思ってたら、「教師の皆さんは、別の課題があります」とかで創作をやらなきゃなのね。
 
ちょっと待ってね。
創作って誰に言うてんねん!
ですやん。
子どものころから字がへたくそでコンプレックス持ってて、致し方なく大人になってからお習字習い始めて、暇そうな顔してたら先生に「お教室手伝って♪」とか言われて、うっかり調子に乗って自分でもご近所のちびっ子さんたち教え始めて現在に至るあたくしですお。
創作なんて冗談じゃないですって。
でも、やりましたよ、去年の秋も、今回も。
泣きながら書きましたよ。
 
毎月毎月、書くことに追われて、さらにまた追われるものが増えて、本当に、お習字嫌いになるかと思ったけれど、よく考えたら、最初からそれほど好きではなかったという…。
 
「好きこそ物の上手なれ」とかことわざで言いますし、「『好き』を仕事にする」とか、なんかのCMとかで言ってたりします。人間、好きなことはよくできて、それを仕事にすれば幸せになれるとか…、そんなエエ加減なこと言うんは誰やって思う今日この頃です。
 
本当に仕事になるとき、仕事として成立するときっていうのは、「好き」が一番大事なんじゃないんです。
「何か知らんけどすることになった」が一番大事なんだと、つくづく思います。
 
もちろん最初の動機として、好きでないものを始めるって、あんまりないですよね。あ、ここしか内定来なかったっていうのはあるかもしれないけれど、それでも、わざわざ嫌いなところを探さないですから、最初の動機の「好き」はいるでしょう。でも、実際趣味が仕事に変わってくるときって、「好き」だけではだめです。
作ったものを「ほしい」という人、できるようになったことを「見せて」という人、それらの技術を「教えて」という人、そういう人、つまり、あなたの素晴らしいところをシェアしてくださいという人が現れて初めて、趣味は仕事になります。自分から売り込みに行っても続きません。
供給よりも需要が先にあることが大事だと、アタシは思います。
 
だから、時々、「何でこんなことになってるんやろ」と思うことがあります。
やめたくなります。
でも、やめようとすると何かが起きて、仕事を拡大せざるを得なくなります。
そんなこんなでお習字の先生、13年になります。
そういう意味で、たぶん天職なんでしょう。
でも、運送屋をやめるまでは、「趣味」としていくことを貫きます。
運送屋をやめたら、その時また考えます。