2013年3月満月 後半 「ニュートラルを目指しましょう」

* ニュートラルを目指しましょう。
さて、後半小ネタ部分、本日が最終回です。
とはいっても、ブログ自体は続きますから、また何か思いついたときに書いていきますので、適当にごらんいただければと思います。
最後ですから、総まとめということで、スピリチュアルな生活を目指す皆様に、これだけは大切にしていただきたいと思う二つの事柄を軸に、お話を進めたいと思います。
その二つの事柄とは、「瞑想」と、「体」です。
簡単に言ってしまえば、ヨーガを始めていただくといいんですけど、時間や状況の制約でそれは無理だとおっしゃる方もいらっしゃると思います。
ですから、日常生活の中でおこないながらも、精神を鍛え、心を豊かにする考え方をここでお伝えします。
まずは、瞑想のことから。
瞑想というものにこれまでご縁がなかったという方は、それはとても神秘的で、続けることによって霊感が磨かれ、神の啓示を受けたりすることができるようになるとお考えの方もいらっしゃるかもしれません。
もちろんそれは全く間違いではありません。
瞑想をすることでいいアイデアが浮かぶこともありますし、さまざまな感覚が鋭敏になるというのも確かです。しかし、神様や天使というような尊い存在が、そう簡単に素人のところへ降りてきて啓示を下さるなどということはありません。(わたくしたちの身近にいてアドバイスをくれるのは、もっともっと近い存在です。場合によっては、研ぎ澄まされた勘を持つ自分自身かもしれません。)
禅の修行では、修業中に仏様などの尊い存在が現れるような状態を「魔境」と呼び、克服しなければならない状態とされています。
これは、このような尊い存在が現れることで、自分は特別なものだと思い込む欲の高まり、エゴの肥大化を戒めるものです。
では、瞑想をして神様や仏様と会わないとすれば、なぜ瞑想をするのでしょうか。
それは、日常的にずっと動き続ける心や頭の働きを止め、精神を鎮めるためです。
また、自分のエゴや独断を手放して、ただ全ての存在を感じ、感謝し、慈しむためです。
雑誌などで特集されるように、人生を思い通りにしたり、恋愛や仕事を自分の楽しいようにうまくいかせたりするためのものではありません。
結果的に生活はいろいろうまくいくことにはなるのですが、それは自分の精神が鍛えられ、物事を思い通りにコントロールしようなどというせせこましい考えから離れた結果そうなるだけのことです。
それを目指すものではありません。
また、思考を止め、思い悩んだりわくわくしたりというようなことから解放されることで、精神的なストレスから徐々に解放されてゆき、静かで整った心の状態を作り出すことができるのです。
この、静かで整った心の状態は、ニュートラルで、いわゆるテンションが上がったり、へこんだりというさまざまな心の状態のどこにも傾いていない状態です。
この状態をすぐに作れるようになることで、日常のさまざまな悩みはかなり軽減されます。
そのために、瞑想のときに腹式呼吸や完全呼吸など、さまざまな呼吸法をおこなうことにより、瞑想の状態に入りやすくします。呼吸というのは、日常ではほとんど意識することはなく勝手におこなわれています。無意識の体の行動です。
この無意識の体の行動の中で唯一自分でコントロールすることが可能なのが呼吸です。従いまして、呼吸をコントロールすることは、無意識をコントロールすることに近くなります。
瞑想をするときは、楽な姿勢で背筋を伸ばして座り、ゆっくりと呼吸を整え、表面に表れる意識である思考を止めます。こうして無意識の中に自分をおくことで、日常的に心や体に張り付いたストレスを落としていくわけです。
また、思考を止め、雑念が出てきても気にすることなくただ流れっぱなしにできるようになると、自分の体が味わうさまざまな感覚をそのまま受け止め、感じるがままに感じて観察するという瞑想をおこなうこともできるようになります。これも、表面に現れた意識が心に纏わりついていたら、感じるがままに感じるというようなことはできません。
例えば、瞑想中に外で犬の鳴き声がしたとしましょう。
そのときに「犬が鳴いている」ととらえるのは、自我が大きくなりすぎているというふうにいえます。なぜなら、外で鳴いているのは、犬ではなく、犬の鳴きまねをする人間の子どもかもしれませんし、お隣のテレビの音声かもしれませんし、空耳の可能性すらあるのです。
こういうときは「自分は音を感じる」と認識するか、単に「音」と認識するとよいのです。
このように、感覚に自分の解釈を入れることなく、ただ、自分自身がそこに「在る」状態を感じられるようになることが大事です。
瞑想のときにこのような状態を作ることができれば、日常的にこの心の状態を作ることも可能です。
感情の揺れというのは、人間なら誰でもあることですし、それがあるから人生は面白いのです。わたくしたちは、喜怒哀楽を感じながら日々の生活を彩り豊かに生活しています。これらの感情は、強いものですと体の状態にも影響をおよぼします。こういう感情をそのままに、感じるがままに感じることで、速やかに心を静め、ストレスに移行するのを防ぎ、すでにストレスになっているものは、それを軽減してゆくということができるようになります。
もちろん、時間はかかります。
なんでもそうですが、一足飛びにできるなどということはありません。
そしてまた本来大切なことも、実は得られる結果ではなく、得るための行程そのものです。結果はおまけです。それが実感できるようになれば、努力がぐんと楽になります。
 
さて、次は体のことです。
スピリチュアルなことを生活に取り入れて楽しんだりしていると、体のことよりも精神のほうが重要な気持になってきます。
しかし、わたくしたちは今この世に生きて活動しています。精神や魂がどうあれ、実生活ではこの体を使って物事をおこないます。
例えば、好きな人への愛情は、口から出る言葉や、手で書いた手紙や機械を操作したEメールで伝えます。もし、体から抜け出た魂が恋人のもとへ行ったら、それは生霊のようなものです。そんな形で伝えたら、翌日に別れを言い出されてしまいます。
わたくしたちは、働いたり、家事をしたり、この体で日々の生活を送りながら、魂を磨きます。
体をきちんと管理することで、魂の修行が進みます。
体が弱く寝たきりの人も、大きなハンディキャップを受けている人も、その体がその人の魂の乗り物です。その体でしかできない大きな修行があるのです。
丈夫で形よく、人もうらやむ美しい体を持った人もいます。その人もまた、その体でしかできない修行があるのです。
形の美しさや機能の出来不出来は、それそのものには大きな差異はありません。パリコレのモデルさんも、わたくしのような一般の主婦も、この世で自分の体を得て、生きて、魂を磨くという行為に変わりはありません。その行為の大きさから比べたら、背が高いの低いの、目が大きいの小さいのというのは、全く意味のないことです。
しかし、せっかく得ることのできた体です。この世に生まれてからご両親や周囲の大人に大切にされ、育まれてきた体です。もともとの性質はともかく、この世に生きている間は、大切にして丁寧に使いたいものです。保護し、鍛え、休め、より使いやすく使っていかなければなりません。
先ほど瞑想のお話のときに、「楽な姿勢で背筋を伸ばしてすわり」と書きました。
正座でも胡坐でも椅子でもいいのですが、楽にして背筋を伸ばすというのは、ある程度体を鍛えていないとできないことです。座る力のある方は、腹筋や背筋を少し鍛えて、股関節、骨盤、肩などの柔軟運動をして、真っ直ぐ座れるような体作りをなさってみてください。
そもそもヨーガのなかで行う運動は、長時間の瞑想に耐えられるような体作りを目指しています。
無理をする必要はありませんが、背筋を伸ばして5分や10分座っていられないようでは、実生活にも支障が出る可能性があります。簡単な運動で体を整えておきたいものです。
また、病気や怪我やもともとの体の性質で真っ直ぐ座るのが困難な方は、あまりやわらかくないマットなどを敷いて、横になって瞑想するという方法もあります。
もちろん立ったままでも瞑想はできます。ご自身の体に合わせて瞑想ができるよう、工夫なさってください。
ご自身の状況に合わせて、働いて、勉強して、遊んで、少しの間座って、あるいは横になってじっとしていられる体作りができれば、毎日を豊かに暮らすことは十分可能です。
わたくしは好きで運動をしていますが、過剰な運動は楽しみや遊びでするものです。運動に趣味がないのに辛いトレーニングをするのは、ストレスを増やすだけです。散歩やお掃除など、日常生活で体を使うことはいっぱいあります。楽しめることで鍛えるのが一番だと思います。
 
さて、瞑想し、体を大切にしていたら、わたくしたちは過剰なストレスにさらされることなく、穏やかな生活を保つことができます。
喜怒哀楽は、人間が人間として生きていれば必ず感じるものです。
しかし、大きな感情の揺れは、長く続くとストレスを作り出します。喜びや感動も、それを得るために必死になれば、それは中毒のようなものです。
怒りや悲しみは心ばかりか体も傷つけますし、自分がかわいそうだという悲劇のヒロインになってしまうと、これも中毒です。
大切なのは、感情の大きな揺れを感じたら、それをただあるがままに感じ、静かに見つめ、おさめていくことです。我慢するのではありません。ただ、見つめ、感じるのです。すると、感情の揺れはそのままに、それを静かに見つめるもう一人のあなたが出現します。これが本当のあなたです。心を静めたら、次にやるべきことに移りましょう。いつまでも喜びや悲しみに浸っていては、次の行動に出られないばかりか、自分をそこに縛り付けて中毒を起こし、ストレスを生成します。一つの喜びや悲しみにこだわるには、人生はあまりに短いのです。
わたくしたちは毎日本当にさまざまな感情に翻弄されます。「悟る」というのはこれらの感情を感じなくなるということではありません。
人間としての感情の動きは、人間が心や体を持っているという点で、もともと備わったものです。しかし、それをコントロールして鎮め、ニュートラルな状態にもっていくことは可能です。すると、心静かに生活ができるばかりか、すぐにやってくる次の感情の波にも備えられます。喜びも悲しみもしっかり味わいつくして、また新しい感情を楽しむことができるのです。
そのためには、トレーニングが必要です。
瞑想することによって、思考を止め、感情を見つめ、ただそこに在る自分を感じることで、精神をニュートラルに保つ訓練ができます。
また、毎日を丁寧に過ごし、瞑想も楽にできるようになるためには、基本的な体の管理も必要になってきます。
どうか皆様、心身ともに、ご自身の最も健康な状態を保っていかれますように。
日々の生活をきちんと送ることこそ、最もスピリチュアルで、魂の願いに適っていることだということが、今わたくしの最も確信するところです。みなさまも、まずは日々の生活を大切に、そしてそこからさまざまに発展していかれますように。
長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。
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今後ともよろしくお願いいたします。