2013年2月満月 「人生の使命」

* 満月情報
2月26日午前5時27分、処女宮7度24分の満月です。
満月ですから、太陽と月の位置関係はオポジション。太陽は双魚宮。この太陽に同じ双魚宮海王星が4度ととても近い位置にいますので、これも月とオポジションになります。
そのほか、この双魚宮には火星と水星がいて、この二つの星が1度以内でコンジャンクションです。
主要な10個の惑星のうち5個の星が双魚宮にいます。
ツイッターなどで「魚座祭り」などという言葉を目にされる方もいらっしゃるでしょう。
双魚宮のもつ、深い深い愛の姿、限界を超えて受け入れようとする懐の深さが、全体の空気の中に感じられるようなことが起こるようにも思われますし、また、そういう思いで事柄に臨めば、大きな力を得られるというときでもあります。また、天蝎宮には土星もいて双魚宮の太陽とトラインを作っていますから、全部で6つの星が「水」のエレメントに集まっています。ちなみに、惑星ではありませんが、重要な感受点の一つとして使われるドラゴンヘッドも今天蝎宮にいて、双魚宮の火星水星とトラインを作っています。
水というのは、物質でありながら、決まった形を持つことはありません。どんな器にもその形を添わせ、流し、飲み込み、潤します。
人間は水がなければ生きてゆくことはできませんが、水の中では生きられません。
考えてみればとても不思議なものです。
まずはそういう時期であるということを念頭に置いていただけばよいかもしれません。
そのうえで今回の満月を考えると、この満月の起こるのが処女宮ですから、これまで積み上げてきた行いが、静かに花開くときのような感じがします。
「情けは人のためならず」という言葉があります。
人様に情けをかけるのは、ただその人に対する利益だけではなく、いずれは情けをかける自分自身にも何らかの形でよいことが返ってくるものだという意味です。
今回の満月は、まさにそのような配置です。自分を厳しく律し、人様のために働き、さまざまな状況を受け入れることで花開く夢を、今まさに射程におさめるような感じがいたします。
この、満月と海王星が絡むオポジションに、磨羯宮の冥王星が調停、天蝎宮土星セクスタイルを作っています。土星もまた、月と太陽海王星オポジションを調停しています。
目いっぱいになりそうなあなたの体力と精神力は、きっと何か眼に見えない力に支えられ、これまで思いも寄らなかった大きな力を発揮するでしょう。
さらに双児宮にいる木星が、月、太陽・海王星とそれぞれスクエアのT-スクエアを作っています。必要な情報は、必ずあなたの手元に集まります。しかもそれは、本当に身近なところから、降ってわいてくるように手に入るでしょう。棚からぼた餅のような状態です。
またさらに、宝瓶宮の金星が白羊宮の天王星セミクインタイルを作っているため、思わぬところから援助の手が差し伸べられそうな気配があります。
あるいは、23日から逆行している水星の影響もあるのか、失敗だと思っていたことが次のチャンスへのきっかけになるかもしれません。
頑張り時です。
少し苦しいかもしれません。しかし、あなたは守られ、支えられています。
思わず手を合わせて感謝したくなる瞬間にも出会うでしょう。
「負けないで」
と声をかけたくなりますが、あえて言わずにおきましょう。なぜなら、人生に負けなどないからです。
 
* 人生の使命
人生に負けはないと書きました。
負けはありませんから、勝ちもありません。
いつの頃からか、「勝ち組、負け組」という言い方がされるようになりましたが、わたくしはそれらの言葉は経済生活の指標以外に何の意味もないと思っています。
また、経済生活は人間の社会の枠組みの中では豊かであるに越したことはありませんが、数値的に豊かでなくとも、精神的に豊かであれば問題ないと思っています。
はっきりいって、そこはあくまで手段や材料の問題ですので、人生の本質ではありません。
もちろん、使命感を持ってやりがいのある仕事をすることが人生の本質だとも言いません。やりがいのある仕事というのもまた、人生の一つの手段です。
もう一つ書いておきましょう。結婚して子どもを生み、愛する人と暮らし、次の世代にこの地球を受け継いでいくのだということも、本質ではありません。結婚や出産は家族形態の問題です。人生の本質ではありません。
わたくしは、人が生きる意味とはそういうものではないのだと、最近思うようになりました。
話が突然飛びますが、以前知り合いのうちの一人でチャネリングの講習を受けに行った人がいました。そして、共通の友人がその人に「人生の使命」というのをチャネリングで見てもらったそうです。そうすると「世界平和」という言葉が降りてきたそうです。
よりによって、ごく普通の一般市民に「世界平和」とか、かっこよすぎるわ!と思ったのですが、話してくれた友人はたいへん真面目だったので、わたくしは「ほう。」としか言えませんでした。
で、わたくしは面白そうだと思って、わたくしの後ろにいる人に「わたくしの使命は何か教えてください。」と聞いてみました。
すると「生きること」と言われました。
「生きること」って…、生きてるやんか!と思ったのですが、何度聞いても「生きること」としか答えがありませんでした。
「それやったら毎日ご飯食べて会社行ってたらエエだけやんか。「世界平和」とか、そういうかっこええのはないんかいな?」と聞いてみましたが、
「生きることやっちゅうたら生きることやねん。」と大阪弁で言われて諦めました。
ちょっとがっかりしました。
せめて「環境保護」とか、「子どもたちの育成」とか、日常的なことでももっと「使命」らしい体裁を整えてたらよかったのにと思いました。
しかしですね、このごろになって、この「生きること」という答えについて、一つの考えを持つようになりました。(ここでもとのお話に戻ります。)
そもそもわたくしたちの人生の使命、つまり人生の本質は「生きること」しかないのではないか、ということです。
だいたい人間というのは、人生がうまくいっているときや幸福感に溢れているときにそういうことはあまり考えないようになっています。
自分の人生の使命は何か、自分が生きていることにどのような意味があるのだろうなどと考えるのは、失恋とか、リストラとか、何かに失敗したり意図しないことに見舞われたりしてへこんでいるときです。
そしてそんなときというのは、自分の存在感に不安を持つものです。
自分が生きていてどんな意味があるのだろう。自分は社会にとって必要のない人間なのだろうか。そういう不安感が、占いやチャネリングに足を向けさせ、社会とのつながり、自分の存在の確かさを確認しようとするのです。
いや、もちろん違うかもしれません。自分の幸せを少しでも多くの人に分けてあげたいとか、今の自分にならどんなこともできそうな気がするので少しでも世の中のためになることは何かと考えてとか、そういうことかもしれません。
しかし人様のためになることをするというのは、必ず自分自身の喜びにつながるのです。それを求めていなくても、自分の使命、役割というものを果たして人様の喜ぶことをおこなえば、必ず喜びが得られるのですから仕方ありません。そういうものです。
ですから、自分の使命や役割というものを考えるのはとてもいいことなのですが、結局それらは人生をよりよくする手段であり、自分の人生を自分の納得いくように生きるためのものです。
「使命」というのは、そこに自分を捧げつくさなくてはならないものです。
落ち込んだ自分の存在意義をそこに見つけて自分を慰めるためのものでは、決してないのです。
わたくしたちがいつでもどんなときでもがむしゃらにやらなければならないこと、それは毎日ただひたすら生きることです。
その人生をよくするためにさまざまなことをおこなうのはとても大切です。自分が納得いくように、ひたすら生きるために最も生きやすくなるために、自分のすべきことを考え実行するのは誰もがおこなうことです。しかし、いたずらに自分のすべきことやその結果得られることにこだわって、それを目的と勘違いしてしまうのはやはりよくないでしょう。
人間が生まれたからには、決まっていることが一つだけあります。それは、死ぬということです。
生まれてすぐか、100年後か、そんなことはわかりませんが、人間は生まれれば死ぬのです。
そして、結局もっとも大切なことは、死ぬまで一所懸命生きるという、ただそれだけなのです。
事故か、病気か、老衰か、あるいはあまり生きていくことが苦しいために自分自身で命を絶つか、死に至る理由はいろいろあるかもしれませんが、その瞬間まで、わたくしたちは一所懸命生きるべきです。
そのためにいろいろおこなうのは、あくまで手段なのです。
まず地に足を着けて、しっかりと呼吸し、自分の生存を確かめる。それを念頭に置けば、後のことはおのずと決まります。
占いも、チャネリングも、それを助けることしかできません。
すべての鍵は、あなたが「生きている」そのことの中にあるのです。