2012年2月新月 「未来へ」

* 新月情報
2月10日16時21分、宝瓶宮21度43分の新月です。
天蝎宮ドラゴンヘッド金牛宮のドラゴンテイルの二つの感受点にきっちりと90度の角度をとってT-スクエアを作る新月ですね。
さらに、この新月と同じ宝瓶宮にある金星と天蝎宮土星がスクエア、この金星とインコンジャクトを作る双児宮木星が、双魚宮の水星、火星、海王星の三つの星とスクエアです。
さらにここ数年続いている白羊宮の天王星と磨羯宮の冥王星のスクエアは、もう皆さんおなじみですよね。
いや、もうスクエア祭りとでもいいましょうか。元気のいいことこの上ない新月です。
そもそもこの水瓶座新月は旧のお正月でもあります。今や日本では暦というと西洋式のカレンダーですが、中国ではこの旧のお正月を大切にするため、日本でも神戸や横浜などの大きなチャイナタウンでは、お正月のお祭りの春節祭がにぎやかに催されます。楽しみにされている方も多いのではないでしょうか。
さて、今回のこの新月の星回りを見ていると、お正月だからというだけではないにぎやかさを感じます。
オポジションが圧力をかける形なら、スクエアは、ぶつかる形です。大きな障害が起こり、克服するために努力の必要が生じる予感から、古くから凶座相として扱われてきました。しかし、世界は広がり、価値観も多様化し、西洋占星術の関係者の間では、吉凶にこだわらない真実を見つめる姿勢が定着しつつあります。
すなわち、今回の新月でたくさんの星の間に見られるスクエアという形は、二つ以上のものが激しくぶつかり、融合し、新しいものを生み出すものだと考えていただければいいかと思います。また、鍵がかかって開かないドアに体ごとぶつかって、閉じ込められていた部屋から脱出するような、そんな大きな素晴らしい変化の形であるということもいえます。
さらに、金星と木星、水星・火星・海王星土星はそれぞれ120度のトラインです。トラインは安定の形。古くは吉座相として喜ばれてきたものですが、「安定」がどんな場合においてもよいことかというと、必ずしもそうとはいえません。
貧富の格差が広がり階層化された社会がその状況で「安定」しているというのはよくあることです。上の階層にいてはわからないことかもしれませんが、貧困層は代々そこから抜け出せないという厳しい「固定」の状態におかれ、苦しい生活を余儀なくされるということも、歴史的に見ても、現代の格差社会の問題を考えても、わかることだと思います。
このように、努力が必要だからといって悪いことばかりではありませんし、安定していることがよいことばかりではありません。
また、ここで気をつけていただきたいのは、昔と今で吉凶が逆転しているというわけではないということです。
昔から固定的にとらえられてきた「吉凶」という考え方に縛られず、ニュートラルに星の象意とその関係を読むことが大切なのです。
そうして考えてみますと、この新月は、何か大きな変革をもたらす出来事が起こることが考えられます。それが、わたくしには「にぎやか」に感じられたのです。
そしてそれが実際に何かの出来事で起こるというよりも、見聞きした事柄を通じて「受け取る」または「伝える」という形で起こるように思われます。この受け渡しはとても豊かで、愛に満ちたものになりそうです。
ただし、「豊か」というのが必ずしも金銭的な豊かさだけを指すのではないということと、「愛に満ちた」という事柄が必ずしも恋愛や友情に関連したものばかりではないということを心にかけておいていただいたほうがいいでしょう。
豊かさや愛というのは、わたくしたちが知る以上に、もっともっと大きく、その実態はとてもつかめないほどのものです。そしてそのごく小さな片鱗が、わたくしたちの住むこの世界を形作っているのです。
そういった大きな愛や豊かさがわたくしたちの生活の中に見せる顔は、時にはわたくしたち人間にとってはありえないほど残酷であることもあるのです。
ですから、出来事の表面上の見え方に惑わされないでください。出来事の底にある真実を汲み取り、見えないものを見、聞こえない声を聞く力が必要になってきます。そしてまた、この新月の時にはそういった力が体や心の奥底深くから顔を出すでしょう。
宝瓶宮新月の力は、一人自分のみの利益を追求するには力が強すぎます。
実際におこなうことは小さなことでも、広く、大きく、少しでもたくさんの人のためにこの新月の力を使えるように、そこへ向かって努力するという姿勢が、その小さなことを大きく育てることにつながります。
 
* 未来へ
先ほども書きましたように、本来、愛や豊かさというものは、わたくしたち人間にとってははかり知れないほどの大きさがあるものです。わたくしたちはそのほんの小さな顕われであるこの世界の、さらに小さな一部である自分たちの営みの中で、愛だの豊さだのと言っているのです。そしてまたその多くが、本当にささやかな、自分のためだけのお金儲けや恋愛沙汰を指していることすらあるのです。
皆さんはいかがですか?
「自分は決して自分だけのために愛や豊かさを求めているわけではない」
と、おっしゃるかもしれません。
確かにそうかもしれません。
では、誰のためにですか?
家族のため? 恋人のため? 
しかし、それがそもそも利己的なのです。
ご自分のごく周りの人たちのためなら、結局は自分のためです。
あ、ここでそれを批判しようというのではありません。わたくしはそのこと自体は悪いとは思いません。だって、自分や自分の周りのごく身近な人々のために一所懸命になれないような人が、大きな世界に対して本当に一所懸命になれるとは思えませんもの。
まず、ご自分の、そしてご自分の家族のために心を尽くして愛や豊かさを追求するのは当たり前のことです。すべてはそこから始まるのです。しかし、その視点だけでは結局行き詰ってしまうのも確かなのです。
どうか今、ご自分や周りの人々を見つめている場所から、一歩後ろへ引いてみてください。
少しだけ視点を遠くしてみてください。そうすれば、一度に広い範囲が見えるでしょう?
今、ご自分のためにしていること、ご家族のためにしていることはそのままに、遠く広い範囲の人々へ、思いを馳せてみてください。
例えば、あなたが生活の中で困ったり、改善されたらいいなと思うことはありませんか?
もし、それがあなたの努力で改善され、その恩恵をあなたや周りの人が受けられるのなら、ちょっと頑張ってみますよね。
では、その恩恵を受けるのがあなたでなく、子どもや孫の世代の、しかもあなたのご家族ではないとしたらどうでしょう?
あなたや周りの人が努力し、顔も名前も知らない二十年後三十年後の若い人たちのために、今何か努力ができるでしょうか。
そういう努力はとても大切ですし、必ずするべきだとわたくしは思います。しかし必ずしも、そのために特別に大きなお金を使ったり、仕事を削ってまでの時間を使ったりする必要はないと思います。
では何をするのでしょうか。
それは、少し環境に配慮した生活をするとか、教育や育児の問題に関心を持つとか、選挙があればよく考えて投票するとか、そんなことです。
そこでわたくしたちみんなが持つ視点が、ただ自分たちの周りだけではなく、顔も名前も知らない、今はまだ生まれてもいないかもしれない何十年も先の若い人たちを思い浮かべられるようなものであれば、きっと世の中は変わっていくと思うのです。
若い頃に聞いたことですが、教育というものが結果を出し始めるのは、早くても三十年先なのだそうです。
つまり、いま、教育を受けている子どもたちが大人になって、自分の子どもや生徒を教え導くようになって、初めてその人の受けた教育が根を下ろしていくというわけです。
そういえば、今は「エコ」という言葉は誰でも知っている言葉になりましたが、二十五年ほど前、わたくしが中学校の教師をしている頃は、そういうことを、学校の道徳や学級会活動の時間に取り上げる人はあまりいませんでした。
しかし、今ではごく当たり前にどこの学校でも学んでいます。子どもたちの意識も高まり、少しでも自然環境を守ろうという考えを持つ人々が、どんどん増えています。
多くの先生方が、地道に指導を続けてこられた成果はとても大きいと思います。
ところで、今学校教育における体罰というものが大きく話題に上っています。
子どもたちだけでなく、たくさんの先生方が、悩み、苦しんできた問題でもあります。
まさに今、これから体罰を一掃した教育を為そうとすれば、今からおよそ三十年後には、体罰などないのが当たり前になっていることでしょう。
そのためには、先生方だけではなく、保護者の皆さんの意識の改革が必要です。
「怖いから」「痛いから」という理由で大人のいうことを聞いている子どもたちは、物事の本質を見ようとはせず、「ばれなければいい」「叱られなければいい」という判断に頼る可能性もあります。
家庭でこのような教育を受けていれば、どんなに学校で真っ当な教育を施そうとしても、子どもの中にはなかなか入りません。
家庭での教育、躾がとても大切になってくるということは、自明のことです。
教育者でなくとも、考えたい問題です。
さて、こういったことを書いていると、「うちの子はもう大学生だから」とか、「わたしは子どもは生まないから」と、こういった話と距離を置こうとするタイプの人もいらっしゃるようです。
ここで、耳を傾け、ともに考えるということが、先ほど書いた「一歩引いて」「視点を遠くする」という姿勢です。
自分の子どもが学齢期に達していなくても、すでに成人して学校を卒業していても、次の社会の一員を育てている学校という場所は、わたくしたちにとっては、ともに社会を支えてくれる仲間を輩出する場所です。
そういう意識を持てば、学校教育の問題はまさに自分の問題でもあるのです。
顔も知らない、まだ生まれてもいないどこかの子どもたちのためではありますが、いずれその子たちが、わたくしたちの住む社会を支えてくれるのです。
よりよい社会を作り上げるために、よりよい社会の成員を育てるのは、常に大人の義務ではないでしょうか。そういった広い視野と、社会全体に対する責任感を持てば、あなたの生活は、より深い愛と豊かさに満たされるのです。
この宝瓶宮新月は、そういうことに対する強い希望を抱くときでもあると、わたくしは思うのです。
まだまだ見えない未来が、行ったこともない遠いところが、豊かで愛にあふれるように、物事の真実の意味をとらえ、考える新月にしたいと思います。