2012年9月新月 「生む自由、生まれる自由」

* 新月情報
9月16日午前11時12分処女宮23度37分の新月です。
相変わらず磨羯宮冥王星と白羊宮天王星のスクエアが目立ちます。1度以内のたいへんタイトなスクエアです。相変わらずさまざまなことについて厳しい状況が続きますが、世界のこと、この世とあの世のことというようなレベルですので、「彼と別れることになるでしょうか」というような瑣末な話ではありません。
そしてこの天王星獅子宮の金星とトラインです。このように厳しい社会情勢の中でも、人の愛や喜びは強く動き、作用すると考えていただけるといいと思います。思いもよらない愛の力に触れることがあるでしょう。処女宮新月がこの金星とセミスクエアですので、このような愛の力は、意外に小さな挫折や衝突の中で見つかるのかもしれません。
また、処女宮の水星が新月と5度くらいの位置にあり、さらにそのおよそ向かい側では双魚宮海王星が白羊宮の天王星セミクインタイルを作っています。
物事を頭で考えて判断するという段取りをやめて、体や感情の持つ感覚に頼ったほうがよさそうです。
また、天蝎宮の火星と双児宮木星がたいへんタイトなインコンジャクトを作っています。強く大きな情熱や力の方向が、真っ直ぐに行くべきところへいかないもどかしさが感じられます。
「その意欲はそこと違うやろ!」
と、つっこみを入れたくなるような力の向きが生まれそうです。しかしそれは決して無意味なのではなく、別の側面から見ればそういうものも確かにあるという方向です。場合によっては本来の目的の拡大解釈の端っこのほうに引っ掛かるかもしれませんし、対人関係など相手のあることでしたら、ともに妥協して間をとるというような方向になるのかもしれません。
そもそもわたくしたちの生活は、自分の欲望がピンポイントでかなっていくというようなものではありません。思いをこめて放った矢は、たとえ的を射ることがなくても、必ずどこかに着地します。そしてその地点こそが、自分の本来行くべき道であるのかもしれません。
今回の新月は、わたくしたちの人生の何もかもすべてについて「願いがかないますように♪」などというレベルで動くものではないということを教えてくれるのかもしれません。
 
* 生む自由、生まれる自由
新月情報を書いている間、テレビでは出生前診断についての問題提起がなされ、視聴者からのメールやゲストの意見が紹介されていました。
出生前診断では、生まれてくる子どもの遺伝的なことがらについてがわかるそうです。
その診断がこれまでの羊水検査のように難しいものではなく、血液検査という比較的やさしい方法でおこなわれることが可能になったというのです。
今日はこのことについて、思ったことを書いてみようと思います。
ここで書くことはあくまでわたくしの私見ですので、これが正しいとか、こうするべきだというものではありません。あらかじめお断りしておきます。
子どもは、両親を選んで生まれてきます。
魂がまだこの地上に降りてくる前に両親を選び、母の胎内に宿ります。そして、月満ちて母の体から外に出るときに、その魂は完全に肉体に宿ります。お腹の中にいるときは、魂はまだあちらとこちらを行き来している状態です。(わたくしたち大人の魂も常に行き来していますが、あちらにいくときに気づいていないことのほうが多く、自覚できません。)
よく、赤ちゃんはお母さんのお腹の中でお母さんのお話を聞いているといいますね。
本当に聞いているんですよ。
日本語ばかりの環境にいる妊婦さんが産んだ赤ちゃんは、日本語には強く反応するそうですが、他言語にはあまり反応しないそうです。同様に、フランス語ばかりの環境の妊婦さんの赤ちゃんはフランス語に最もよく反応するとか。他の言語でも同じことが言えるそうです。
ちゃんと聞き分けることができるのですね。
だから胎教というのは大切なのです。
これは何も、生まれる前から多言語の環境にいると子どもがマルチリンガルになるとかそういうことを言いたいのではありません。
お母さんや、周りにいる人が、やさしい言葉を使い、穏やかな気持で日々過ごすことが大切だといいたいのです。
そしてさらに、お母さんのお腹に宿った段階で、赤ちゃんはすでに魂を持った一人の人間なのです。単にこの世界にまだ出てきていないというだけです。そして出産という過程を経て、この世の住人として迎えられるのです。
しかし運命は過酷なもので、時に流産や死産という悲しいこともあります。
これは、その赤ちゃんがお腹にいる間に一つの学びを終えて次の人生を目指すことを表します。
ですから、自然の流れの中で赤ちゃんを生む前に失った人は、出会えなかった悲しみをしっかりと受け止め、味わったら、もう次の段階に進まなくてはならないのです。厳しいようですが、いつまでも悲しみの中にいるべきではありません。
では、人工妊娠中絶はどうでしょうか。
ここで、出生前診断に話が戻ります。
簡単に血液検査で生まれてくる子どものことがわかるとしたら、皆さんならどうされるでしょうか。出生前診断では、生まれてくる子どもがダウン症かどうかということがとてもよくわかるそうです。
ですから、多くの方が悩んでおられるようです。
もしそうならどうしようか。
ということです。
ここでわたくしの意見です。
もし、生まれてくる子どもがダウン症の可能性が高いと診断されたときは、生むか生まないか悩むのではなく、お母さんやお父さんや周りの人の愛情を最もよくあらわすためにはどうすればよいかを考えるとよいと思うのです。
生むか生まないかは生む本人の自由かもしれません。
しかし、命を得るかどうかは生まれてくる本人の自由です。
冷たい言い方ですが、育たない子であれば、おろさなくても生まれません。
つまり、生むか生まないかではなく、生まれてきてくれるかどうかなのです。
そして、本人の学びの期間が母の胎内にいる間に終了すべきものであれば、その子は母親に中絶を促すか、自然に神様のもとに召されるでしょう。
ですから、「生みたいけどどうしよう」というような迷いであれば、いっそ覚悟を決めて、生む方向で動いたほうがよいのです。
そして、生まれてくる赤ちゃんがその力をうんと発揮できる環境を整えるために、知恵も心も使えばよいのです。家族が反対すれば、「この子の命はこの子のものです」と言ってみてはいかがでしょう。きっとわかってもらえると思います。
親が、胎内に宿る子どもをどうするかなどということを考えるのは不遜です。
親がそのお腹の子どもにしてあげられることは、子どもが胎内で成長しやすいように、その力が発揮しやすいように、穏やかでやさしい環境を作るというだけです。
そうすれば、子どもは子どもの力で自然にこの世に出てきます。出てこずに天に召されても、それはその子の選んだ道です。
自然が子どもを導いてくれるのです。