2012年4月新月 「愛のこと」

* 新月情報
4月21日16時20分、金牛宮1度35分の新月です。
前回の満月に引き続いて、処女宮の火星と双魚宮海王星がタイトなオポジション、これら二つの星と人馬宮ドラゴンヘッドがスクエアと、はっきりしたT-スクエアを作っています。頑張りがいのある何かが、引き続きあなたの体力や精神力に挑戦してきます。是非、受けて立ちましょう!
さて、満月時はここに金星が絡んで綺麗なグランドクロスを作っていましたけれど、今回金星は磨羯宮の冥王星とインコンジャクト、金牛宮新月(太陽・月)とのセミスクエア、白羊宮の天王星・水星とのクインタイルなど、第2種、第3種のアスペクトばかりです。
第1種のアスペクト(メジャーアスペクト)がないことで、目に見えないところ、あるいははっきりとは意識しないところで、金星が活躍しそうな気がします。
さらに、今回新月の起こる金牛宮の主星は金星です。
どうも今回の新月でクローズアップされるのは、金星のお仕事のようです。
金星のお仕事、それはズバリ、「愛」と「お金」です。
心ときめく愛と、豊かな富。これが今回の新月のポイントとなることは間違いありません。
しかもこの新月は、火星と海王星オポジションを調停している形で起こります。なにかと圧力が強くて嫌がられがちなオポジションですが、調停が入るとそれが少しやわらげられるというのですからうれしいではありませんか。(ちなみに、オポジションはじめ、ハードアスペクトと呼ばれるものは別に「悪い」ものではありません。念のため。)
「雨降って地固まる」その雨が土砂降りの無茶降りにならず、やさしくしっとりとした春雨になるというような感じでしょうか。
現在これをお読みの方の中にも、いま少し気配りが必要なことや、挑戦してみたいことなど、気持の上でテンションをあげていかなくては進め辛いようなことがあるのではないかと思うのですが、それらのことが少し滑らかに動くような感じがします。無理やりに心を奮い立たせなくても、ふと気持が和み、その結果自然にテンションが上がってやる気が起こる、そんな感じです。
そういった状況の中で、心にもお財布にも大きな動きが出るような気がします。
ボイドほどではありませんが、やはりメジャーアスペクトを持っていないということは、その星の効力が「野放し」になる傾向は無視できません。この日は金星のほか、土星木星冥王星も、それぞれメジャーアスペクトを持っていません。ひょっとしたら、今まで目を背けていたご自分の「欲」が、むっくりと頭をもたげてくるのではないでしょうか。
もしそうなったら、見て見ぬふりをすることなく、静かに観察してみてください。
本当に欲しいものは何か、そのキモのところが見つかるチャンスですから。
 
* 愛のこと
さてさて、今回の新月では、金星のお仕事がクローズアップされるのではないかと書きました。
金星のお仕事、つまり「愛」と「お金」です。
二つもいっぺんに書くのはたいへんですので、今日は「愛」のことについて書きましょう。
「愛」というと、だいたい雑誌の占い特集なんかでは恋愛のことをさしていますよね。でも、恋愛でも、親子の情でも友情でも、およそわたくしたちの心の動きとしての「愛情」は、本来の「愛」とは対極にあります。
本来のわたくしたちの魂の姿である状態は、他に言葉のあてようがないので「愛」と言っています。使っている言葉の形が同じなのでややこしいですが、全く別物に近いくらい真反対なものです。ただ、本来の「愛」に近づくためには、人間の心の動きとしての「愛情」は、とても大きな入り口になります。
なぜなら「愛情」というものは、とても「欲」の強いものだからです。
例えば、子育て中のお父さんお母さんは、「健康に育ってほしい」「やさしい子に育ってほしい」と、子どもへの願いを抱きます。確かに健康であるとかやさしいとかいう状態は、その子にとってよい状態かもしれません。しかしそれが叶えられたら、きっと次があるでしょう。「学校生活を楽しんでほしい」「真面目に努力する子になってほしい」などなど、次から次へと思いは膨らみます。「子どものため」という言葉も、毎日の生活の中で当たり前のように聞かれます。子どものために自分のことをがまんしているお母さんの多いことといったら、たぶんそうでない人を探すほうが難しいでしょう。
これは、子育てをしていく上で大切なことではあります。しかし、行き過ぎは必ず破綻を招きます。
もし「わたしだったらこうするのに」とか、「わたしがこの子くらいの年に戻れたらもっと勉強するのに」などと思い始めたら要注意です。子どもは「わたし」ではありません。
このときに気づいて、「どう向き合えば、この子にとって一番幸せな状態を作ってあげられるだろう」と、考えを変えてみることで、余分な「欲」をそぎ落としながら、愛情をうまく表現するきっかけを作れると思うのです。
多くのお母さんが、子育て中に無意識にこの過程を経ていかれます。
子どものいる人の多くが、人様に対して待つ姿勢や我慢する姿勢に長けているのはこのためだと思います。だから、子育ては本来の「愛」に近づく大きな入り口、修行になるのです。
修行になるのは、子育てだけではありません。恋愛もまたそうです。
恋愛は、たぶん子育てよりも初歩的で、厳しい、人間としてのかなり重要な修行になると思います。
なぜなら、恋愛の願いは子育てとは違って「相手のために」という動機が根本的にないからです。
どんな行為も、それは最終的に「相手に愛されるため」のものだからです。
相手のためにデートを盛り上げても、おしゃれをしても、ご飯を作ってあげても、それで相手が喜んでくれさえすればいいのでしょうか。相手が喜んで、「ありがとう、お腹いっぱいになったから、これから一番好きな人と落ち着いて映画を見に行けるよ」なんて言ったらどうしますか?「今日は素敵なところに連れて行ってくれてありがとう。来週の彼とのデートの参考にするわ」なんて言われてへこまない人はいないでしょう?
これらの言葉に「ああ、よかったなぁ」と心から幸せを感じられる人は、ものすごく自己愛の強い被虐的な人か、すっかり修行の出来上がった人です。しかし、自己愛の強い人は「わたしって、何てけなげ」とか思いながら心の中で涙を流すのでしょうから、やはりそこには「認められたい」欲があるのだと思います。そして修行の出来上がった人は、実らない恋のためにそんなことしたりしませんので、結局はそんなときに心から「よかった」と思う人などいないということになります。
つまり恋をしている間は、相手のためにしていることは、すべて、相手に愛され、相手と自分の永続的な関係を作るためのものだということになります。そして、この段階を経ることで、結婚であったり、別れであったりといった一歩進んだ愛情の段階へ移ることができるのです。
一歩進んだ愛情の段階として結婚というのは誰しも思うことだと思います。しかし、結婚しなくても、唯一相手だけのためになる行為をおこなうことができるのが「別れ」のときです。しかも相手から別れを告げられるときです。
このときだけは、相手の喜ぶことをしてあげられるのは唯一自分だけで、しかも相手に対する自分の欲の一切を捨てなければならないという苦しい局面に立たされます。
人間が恋愛で最も成長するのはこのときです。
自分にとって快適であること、幸せであることの一切を捨てることで相手に奉仕することができるのです。
これは本来の「愛」に近づく大きな行為だと思われます。
あ、他人から見れば「たかが恋愛」ですし、「あんな男、別れたほうが正解よ」ってとこですが、本人は生きるか死ぬかの問題なのです。これほど他者と共有できない思いも他にないかもしれません。
だからこそ、孤独に自分と戦うのです。孤独と闘うのではありません。孤独は結果的に幻想だと知るべきことであって、それは単なるそのときの状態です。孤独な状態にありながら、「別れ」という最大の愛情を相手に捧げ、その「欲」を捨てる苦しみを乗り越えるのが、修行なのです。
もちろん、恋は何度もします。別れの苦しみも慣れるなんてことはありませんし、そのたびに自分自身と闘わなくはなりません。けれど、必ずそのたびに真実の愛に近づいているのです。自信を持ってくださいね。
 
さて、「愛」のお話なのに、しんどいことばかり書いてしまいました。
でも、こういうしんどいことを経験したうえでしか、わたくしたちは前に進めないのです。自分の欲を捨てて、人様や世界のあらゆることに向き合うことでしか本当の愛に近づくことなどできないとわたくしは思います。
欲を捨てるのは勇気が要ります。辛いことです。しかし、欲を捨ててしまったときは、なぜこんなにしんどいものを後生大事に持っていたんだろうと思うくらいすっきりします。ただ、その過程が辛いだけです。その辛い過程を避ければ避けるほど、辛さが増幅されます。それを地獄というのです。
ほんの少し、本当に少しの間だけ頑張ってみることで、わたくしたちはこの地獄を見ずにすみます。そして、真実の「愛」に近づいていくのです。