2012年4月満月「考えること、考えないこと」

* 満月情報
4月7日午前4時20分、天秤宮17度23分の満月です。
お手元にホロスコープをごらんになれる環境があるという方は、この満月時のホロスコープを出してみていただくと、とても面白い図になっていることがおわかりいただけると思います。
座相線、つまりアスペクトを作っている天体同士をつなげる線を引いてみますと、真ん中に正方形がどーん、そこに、それを真半分の長方形二つに切り分けるように、太陽と月を結ぶ線が入ります。
正方形を作っているのは、双魚宮海王星双児宮の金星、処女宮の火星、人馬宮ドラゴンヘッドです。その真ん中を突っ切る満月は、白羊宮の太陽と、天秤宮の月によってできています。
正方形の四つの頂点は、互いに90度または180度という角度で結ばれており、グランドクロスと呼ばれる大変力の強いアスペクトになります。(人馬宮ドラゴンヘッドは少々ゆるい位置にありますが)その真ん中を太陽と月の180度が貫いているという形で、これは「何かある」と言わざるを得ない形だと思います。
現実に何があるのかは個々人によって違いますので、具体的な説明はできませんが、少なくともかなりしっかりした変化をもたらすものであることは確かです。
このグランドクロスは、柔軟宮で起こります。周囲の状況を見ながらうまく立ち回って成功させる、そんな雰囲気があります。そして作っている星が火星金星海王星ですから、愛情に関することかもしれませんし、喜びごとや情熱や夢にかかわりがあることかもしれません。さらに金星とドラゴンヘッドの180度には白羊宮の天王星が調停に入っておりますから、思いもかけない出来事が、見えない糸をつないでいくというようなことになるのではないかと思ったりもしております。
今まで表に出なかったこと、隠しておきたかったことを、言おうか言うまいか、悩んでいる人もいるかもしれません。ここで計画的に出してしまおうとしても簡単に出そうな気はしません。反対に、どさくさに紛れて言っちゃったというような形で表に顕われるような気がします。とはいえ、秘密がバレるというような種類のことではなく、いつ言うべきか、言わずにおくべきか迷っているというくらいのことかもしれません。その事柄が胸につかえているようであれば、結果がどうあれ流れに任せてみてはいかがでしょう。
案外、いろいろ画策するよりいいかもしれませんよ。
 
* 考えること、考えないこと
今回の満月の星回りを見ていると、考えても画策しても、動くものは動くし、動かないものは動かないのではないかと、つくづく思います。
自然の流れに沿って動こうとしているものを無理に止めてしまうと、そこにひずみが生じます。逆に動かないものを無理に動かそうとすれば、そこには無理な力が加わり、育つものも育たなくなります。
動くときに動かす。動かないものはじっと待つ。そういうふうにものによって行動を変えれば、何事もうまくいくと思います。
しかし、動くものと動かないものをそんなにうまく見分けることなどできません。
動かないものを無理に動かそうとして壊してしまったり、動くものに乗る勇気がなくてみすみす幸運を逃してしまったり、そんな経験をお持ちの方も多いでしょう。
失敗するのは誰でも怖いと思います。若いときにはなおさらそうです。しかし、失敗を重ねてようやくその人の中に確立されるものがあるわけですから、いろいろ失敗して、泣いたり怒ったりするのもいいかもしれません。
そうして失敗していく中で、反省し、考えて、「よし、一つ賢くなったぞ」と、意気揚々と次の目標に向かうのが、なんといっても一番の正解だと思います。
いつまでもくよくよ考えない。
どこが良くてどこが悪かったか、そのときの自分の状況で整理できることを整理したら、その事柄は終了です。
ですから、実際に動いているときは考えない方がいいのです。
「前はこんなふうにして失敗したな」とか、「前と同じことをしているけれど、これでいいのかな」とか、動いているときに考えても本当はしょうがないのです。しょうがないけれど、たぶん、考えなければまた同じ失敗を繰り返してしまうでしょう。
それは、以前の失敗の後、ちゃんと整理がついていなかったということなのです。
自分の失敗の内容を良く知り、本当はどうするべきだったのかということが腹の底に収まっていなかったからなのです。それが収まってさえいれば、いちいち考えなくてもそのように動けるのです。
これを収めるには、もう経験しかありません。懲りずに何度も失敗しているうちに、体のほうが覚えていきます。ただしその時にそのレベルできちんと考えないと、失敗癖のほうを体が覚えてしまい、いわゆる「運のない人」になってしまいます。
考えて考えて、その考えが頭にあるうちはまだ失敗を繰り返します。しかし、それがいつか腹に収まることによって、本来の自分の動きとして体が覚えるのです。
何かのスポーツや芸事の経験のある方はよくおわかりだと思いますが、練習中は本当によく考えます。こう動けばいいのか、ここで力を出すのか、あるいは抜くのか、といったようなことです。
ところがそれが本番になると、そういった考えがいつまでも頭にあるわけではありません。頭にある場合は、その考えに引きずられて対応が遅れたり、間違えたりします。しかし、練習中の考えを頭から一掃した状態で本番に臨んだ場合に、思わぬ大きな成果が得られる場合があります。それが、「体が覚えている」状態です。
それは例えば、初めてコマなしの自転車に乗るときと同じです。
ペダルに乗せた足を踏み込むタイミングと、もう一方の足が地面を蹴るタイミング。これをあわせるために何度も練習すると思うのです。そしていつか、そのタイミングが合い、バランスをとって走り出します。うまくいく瞬間は、なぜうまくいったかわかりません。右足と左足のタイミングをどのように合わせたのか、左右の体重バランスをどのようにとったのか、うまくいかないときにはあれほど考えながら、よく注意しながらおこなっていたのに、うまくいったときにはどうやったのかわからないのです。
これが、「コツ」と呼ばれるものだとわたくしは思います。説明はできないけれど、うまくいくための何かを掴む、その何かです。
これは練習した本人でなければわかりません。いえ、練習した本人も、わかってはいるけれど説明はできないという場合が多いのです。それを客観的に理解し、説明することができる人は、自分が一所懸命練習し、工夫した経験を持つ人で、最初からあまり失敗をしたことがない人は、このあたりを説明することができませんし、一所懸命頑張った人でも、その頑張りを客観視していない人には難しいでしょう。
ただ、指導者になるというのでなければ、どうしても説明しなければならないというのでもありません。自分の失敗を整理し、腹に収めるのに必要な客観性を備えていれば、前に進めるでしょう。また、努力中の人に「頑張ってるんだからきっとできるよ。」と声をかけられさえすればいいのです。そのように声をかける瞬間、その人と自分が重なり、共感し、その結果自分の努力を客観的に「頑張ったな」と評価できると思います。人を励ましながら、自分を認めることができるので、さらに次の目標への努力につながると思うのです。
仕事も、恋も、全く失敗がなければ楽かもしれません。楽なのはいいですから、それはそれでいいと思います。でも、失敗すれば、必ず一つ賢くなります。頑張る力を自分も得て、人様と共有することもできます。
楽な仕事の後のビールより、繰り返した失敗の後にうまくいった仕事を終えたときのビールの方がおいしいかというと、どちらもおいしいのでしょうが、飲むときの感慨は違うでしょうね。
時々楽な仕事、時々しんどい仕事、そうして波のようにうねる運命の中で、楽しく生きていきたいものですね。