2012年2月新月 海王星の時代

* 新月情報
222日午前736分、双魚宮242分の新月です。
春だなあという星回りです。
太陽も月も双魚宮に入ったばかりですが、この周辺に、海王星、火星、お隣の白羊宮に天王星と金星、この二つのサインがとてもにぎやかです。そしてそのお隣の金牛宮には木星がいますね。
太陽と月は天王星とはほぼぴったりの30度、金星とは45度になります。
海王星もこの新月とは2度しか離れておらず、コンジャンクション圏内です。この海王星が金星とほぼぴったりの45度、天王星とは30度です。
新しい始まり、春の訪れを祝うかのように、華やかに集っています。
さて、ここから離れた天秤宮土星はサインをまたいで双魚宮海王星120度、処女宮の火星は白羊宮の金星と150度と、これからの長い道のりを励ましているかのようです。
そして冥王星はというと、磨羯宮にいて、お隣の人馬宮ドラゴンヘッド36度という角度です。春の始まりに添える不思議なご縁の演出をこっそり相談して、120度の関係にある金牛宮木星に連絡しているかのように見えます。
何か、はじけるような明るい始まりが期待されます。
新年度まではまだ一月以上ありますが、そこへ向けての新しい計画、春を迎えるための楽しい企画、そういったものがぐんぐん現実味を帯びて、生活や心の中の賑わいが弥増すでしょう。
もちろん、何もかもがどんどん進むばかりというのではありません。まだまだ芽を出さない土の中の球根や、時に駆け引きを必要とする恋の始まりのように、少しばかり時間や工夫を必要とするものもありそうです。
それはちょうど上質のチョコレートにあしらわれたほんの少しの岩塩のように、複雑で、しかも深い味わいをもたらすものになるのです。
楽しい春になりそうですね。
 
* 海王星の時代
今月4日に、海王星双魚宮に入りました。
海王星双魚宮のルーラーで、ここに滞在しているおよそ13~4年の間は、その力がもっとも大きく発揮されることになります。
海王星の象徴するのは、芸術、精神世界、神秘、癒しなどで、支配する双魚宮は直感的、神秘的、自己犠牲的な傾向を持ちます。(ここでは魚座生まれの人の性格という意味で書いているわけではありません。)
海王星は、今回の本格的な移動の前に、最近一時期双魚宮に入っていた時期があります。そして一旦逆行して宝瓶宮に戻り、また順行して今回に至ります。
これからの13~4年の間にどういったことが起こるかのヒントが、この時期にあると見ることができます。
その時期とは、2011年4月4日から同年8月5日までの約4ヶ月間、そう、あの地震から約1ヶ月後から5ヶ月後の間です。
あの頃何があったでしょう。
地震の後、まだまだあらゆる情報が錯綜し、被災された多くの方が混乱の只中におられた時期、そして、世界中が日本のために祈りを捧げた時期でした。
現在、この未曾有の災害のあと、いまだに多くの情報の乱れや懐疑の念が国内外を飛び交っています。それでも、人々は希望を持っています。新しい世界に向けて、祈りを捧げています。しかし、不安も疑いも希望も、現実の事柄を言い表しているわけではありません。これらは現実をありのまま見るという行為とは別のところで発動されるものです。
この世界の、この現実の中に生きて、そのありのままを見つめるというよりは、そこから一度足を離して空想の中に身を投じなければ見えない世界を見るような状態です。
この、現実や事実を超えたところで動く人々の思念は、まさに双魚宮にある海王星の働きそのものではないかと思うのです。
しかし、単に足を離したままで思いたいことを思い、妄想の中に身を投じてしまうと、それが唯一の現実になってしまい、狂気の世界に陥ってしまいます。
足を離さなければ見ることができない世界は、しっかりジャンプして眺めればいいのです。その後にそこで得た空想の力を自分に取り込んで着地することで、現実を冷静に見渡す力になるのです。野放しのままでは狂気になるものも、あるべき状態にあれば、それは勇気になったり、祈りになったり、わたくしたちの生きていく支えになるのです。海王星の力を、今こそわたくしたちは自分の力として得ようではありませんか。
今回の新月は、この海王星コンジャンクション圏内で起こります。海王星双魚宮に滞在する14年間が、今はっきりと始まる実感がわいてくるでしょう。14年間と言えば、一世代の約半分です。一つの時代といってもいいかもしれません。
この時代を、狂気の時代として送るのか、夢と理想を追う希望の時代として次につなげるのかは、わたくしたち一人ひとりの思いにかかっています。いえ、人それぞれによって、この時代は、狂気にも希望にもなるのです。
そして、それが狂気であるのか希望であるのかは、渦中の人間にはわかりません。なぜなら、その狂気も希望も、渦中の人間にとっては現実そのものだからです。
いえ、狂気と希望という二つの別々のものがあるのではありません。どちらも同じ一つの現実で、それらはすべて一つの妄想です。
この妄想が現実を作っているのです。
それは客観的な事柄の積み重ねである事実とは異なります。
例えば簡単な例をあげてみましょう。
 
先週、2月14日はバレンタインデーでした。
ここに一人の若い女性がいます。彼女は恋人とデートの約束をしたかったのに、彼は仕事があるからと断りました。
そこであなたはこの日、仲良しの女友達と一緒に食事をして帰る途中、自分の恋人が美しい女性と並んで歩いているところに出くわしました。
 
と、ここまで書きました。
この若い女性は彼に対してどのような反応を示すでしょうか。この美しい女性とは誰でしょうか。
ここからはいろんな想像ができます。いろんな想像ができますが、それらはすべて想像です。あ、もちろん、この例にあげた文章も想像ですが、これは一つの設定だと思ってください。
そうすると、事実として設定されているこの文章以外のことが想像ということになります。もしこれを読んで「あら、この彼って浮気してるのね。」とか「この主人公の女の子、片思いだったんじゃないの。」とか、いろいろな想像ができます。この若い女性が自分自身であったとして「浮気」とか「片思い」というふうに想像すると、胸が苦しくなりますよね。この後は修羅場が展開されるでしょう。でも、「ようやく残業から解放されて同僚と会社を出たところだったのね。」という想像だってできます。「お疲れ様」と恋人に言葉をかけて、みんなで飲みにいくという楽しい展開も期待できるんですが…。
どんな想像にしろ、想像することでわたくしたちは現実を作ってしまいますし、本来進むべき道を途中で間違えたり見失ったり、逆にショートカットすることもあります。
結局ここで大切なのは、想像は想像だときちんとわきまえておくということです。
事実だけを見ることが大切なのです。そのうえで、事実の積み重ねから浮かんだ推論というものもあるかもしれません。しかし、それもまた想像に過ぎません。
「第六感」といわれる言葉があります。「霊感」というものもあります。これらは想像力の上にある力です。想像力のない人にはこれらの力は使えません。しかし、想像力のままで止まっている人にもまた使えないのです。
想像はあくまで想像であるとわきまえて事実だけをありのままに感じ取ることができたとき初めて、浮かび上がってくる何かがあります。それがいわゆる「第六感」「霊感」といわれるものです。
そしてそういうものが使える人は、それが間違っているかもしれないということを必ず念頭に置きます。なぜなら、物事は変化していくからです。そこで得たインスピレーションは流動的で、現実の世界で必ずある一つの形を成すとは限らないからです。ですから、「絶対こうなる」とは言いません。
もしはっきりと「絶対こうなる」と言ったら、それは想像力、妄想の中にとどまっているのです。
わたくしたちは、こうした想像、妄想の中にとどまらず、それらをわきまえて事実だけを認識することによって、想像や妄想では推測できない事柄を知ることができます。
そのためには、日々自分に起こる出来事の数々を、淡々と見、観察することが必要になってきます。一切の感情をいれず、淡々と事実だけを見るのはつまらないかもしれません。想像力を駆使したユーモアだってありますものね。しかしそれは、想像と知っているから面白いんですよ。
想像してはいけないのではなく、想像は想像と割り切るということです。
事実とごちゃ混ぜにしないということです。
それだけで、映画も小説も生活の中のユーモアも、とても楽しいものになりますし、毎日自分に起こる現実は、自分を悩ますことなくただ起こっている事実だけが展開していくということになるのです。
これからの14年間は、今までわたくしたちが経験してこなかったような時代になっていくかもしれません。しかし、いつも淡々と事実だけを見、するべき事を一所懸命行うことで、心の痛みは遠ざけられ、悲しみは和らぐのではないかと思います。そしてそういった行為をおこないやすい世の中になっていくのが、海王星双魚宮に滞在するこの時代だと思うのです。
日々の生活を、淡々と、そして丁寧に送ることは、わたくしの目標でもありますが、これをお読みくださっている皆様にも、おすすめしたいことでもあります。
わたくしたちはこの地上ではそのことでしか魂を磨くことはできないのだと、わたくしは思っているのです。