2011年12月満月 「人生はテーマパークだ!」

* 満月情報
12月10日23時37分、双児宮18度11分の満月、皆既月蝕です。
もう皆さんはいろんな媒体で、この日の月蝕がたいへん珍しいものであることも、太平洋側では観測しやすいお天気になりそうだということもご存知だと思います。
是非、良いお天気に恵まれて、赤く影のようになるという月の姿を観測したいものですね。
さて、この月蝕というのは、そもそも年に2回とか3回とかの割合で起こるものです。日蝕もそうです。ドラゴンテイルとかドラゴンヘッドの近くで満月や新月が起こるときになるわけですから、現象そのものが珍しいのではありません。ただし、これが部分的なものであったり、全体的なものであったりその見え方はいろいろであるため、全体的に隠れる皆既蝕というのはやはり珍しいのです。しかも地球上の限られた一地点(例えば日本の本州とか)からその全貌を観測できるというのはその中でもさらに珍しいため、今回のように大きな話題となるのです。
この日、月は人馬宮の太陽と180度(満月ですから)、磨羯宮の金星と150度という角度を作り、太陽はこの金星と30度です。
このほか、金牛宮木星は白羊宮の天王星と30度、磨羯宮の冥王星人馬宮の水星と30度というふうになっていて、いろんなことがカチカチとおさまるような感じがします。そういうものが小さくおさまっていって、最終的に大きな絵になるという感じでしょうか。天秤宮土星宝瓶宮海王星がこのところずっと120度という角度で、満月の翌日には突きも加わってグランドトラインになります。サインの関係ではもうすでにその形を作っていますので、恩恵はたっぷり受けられそうです。
また、サインの関係だけで言うと、処女宮の火星と磨羯宮の冥王星金牛宮木星がこのところずっとグランドトラインです。ついでに言うと、処女宮の火星はドラゴンヘッド、テイルとそれぞれ90度。つまり太陽と月とも90度。T-スクエアなわけです。
こういう星の並びを見ていると、小さなことの整合性があってきて、大きなことを成し遂げる、一つの段階に来たような気がしますね。
この大きな動きの中では、海王星が来年の2月早々にふるさとの双魚宮に入ります。時代の混沌はさらに深まり、きっとその中から何か新しいものが生まれるのでしょう。
現在はその前の段階にあります。今年の4月から4ヵ月間ほど、一度海王星魚座に入りました。未曾有の災害のあと、世界中が日本のために祈ってくれていたあの頃です。あの大きな災害を受けてなお人々が愛に満たされた、あのときの空気を思い出していただければ、これからの時代の何らかのヒントになるかもしれません。
双魚宮は限りない愛のサイン、海王星は高く深い精神の働きをあらわす星です。
わたくしたちは愛の灯火を掲げて、これからの混沌の時代を生き抜いてゆくのです。
 
* 人生はテーマパークだ!
せっかく満月情報をかっこいい言葉で締めくくっておきながら、小ネタ編の題名がこれではちょっと値打ちが下がりそうですが、そこは中身で勝負です。
最近この言葉に凝っていて、何かと口に出しているのですが、そんなふうに思うようになったのはやはりここ2~3年です。
わたくし自身は根が楽観的にできているらしく、どんなにしんどいと思っても、過去の自分に帰りたいと思ったことはありませんでしたし、いつでも昨日より今日、今日より明日の自分が成長しているということも、太陽が東から上って西へ沈むくらいに当たり前のことだと思ってきました。しかしそれでも人生というのは人間にとって修行の道だというふうには思っていました。確かにそういう側面も持っています。しかしそれでもなお「修行にしては楽しいなぁ」とか、「これやったら人生の修行は楽勝やな」などとうっかり思ってしまうときもありました。もちろん今では、うっかり思ったりはしません。確信しています。(そっちか)
「テーマパーク」という言葉に直接結びつけたのは、天外伺朗(てんげしろう)さんの本を読んでからだと思います。それは、「宇宙の根っこにつながる瞑想法」という本です。
そこにはこんな風にかかれています。
〔以下引用〕
「人はなぜ生まれてきたのか」という問いに、理性で答えることはできません。それでもあえて答えを探すなら、「わたしたちはこの世に遊びに来ている」のではないかな、と思っています。時間や空間を体験するため、個を体験するため、つまり分離そのものを体験したいがために、私たちは肉体をまとって生まれてきたのではないでしょうか。〔引用終わり〕
この本を読んだあたりで、わたくしは、人生をどう生きるかということをしっかり思い定めたような気がします。
などと書くとすごい人のようですね。
違います。
要するに、人生を精一杯楽しもうと思っただけなのです。
で、同時に気づいたんです。高校生の頃に同じ事を思ってたなと。
高校生の頃になんかノートに書いてたんですね。「悲しいことも苦しいことも、生きているから体験できること。」前後は何書いてたか覚えてないんですが、それだけ覚えてるんです。そしてその頃、「どんなに苦しいことがあっても、それを精一杯味わわなくてはもったいない」とさえ思っていたということも覚えています。
さすが、お嬢様ばっかりののんびりした学校に行っていただけあって苦労をいうものを知らない女子高校生だったのだと、いまさらながら笑えますが、それから30年経って、そのおなじところへ帰っていってるわたくしは何者かということになりますか()
人生はテーマパークでありながら、星占い的には螺旋階段のようなものでもあります。同じところへ、何度も何度も高さを変えて帰ってきます。成長しても成長しても変わらない本質は、成長するごとに磨かれて積み上げられて、高く美しくそびえてゆく、それが個性であり、魂の目標ではないかと思います。
そして、その螺旋階段はとても大きく幅広く、ジェットコースターがあったり、ショーやパレードをやっていたり、素敵なキャラクターが出迎えてくれたり。
そして次の一段を上り、さらにパワーアップしたジェットコースターに乗り、一緒にいた友達とはぐれて、別の誰かと友達になったり、という具合です。
では、その螺旋階段によってできたテーマパークは、最後はどうなっているのでしょうか。
最後は、もちろん出口です。
螺旋階段の一番最後はテーマパークの出口です。
そこを出て、わたくしたちは天に帰ることができます。
「楽しかったね。」「面白かったね。」「いっしょにいてくれてありがとう。」そんな言葉を残して、わたくしたちは一人ずつその出口から出てゆくのです。
 
テーマパークのいいところは、どこで何をしても自分の自由だということです。
アトラクションを楽しんでもいいし、ただ散歩してもいいし、お買い物をしてもいいし、大好きなキャラクターを見つけたら写真をとることもできます。
もちろん、ただ座っていることもできます。
何をしてもいいけれど、ただ一つだけ大切なことがあります。
「楽しむこと」
たとえアトラクションの時間待ちでも、キャラクターにあえなくても、その時間をいかに過ごすかで、テーマパークの楽しさは変わってきます。
人生だって同じです。
楽しむことが何より大切なことなのです。
そして、さらに人生のテーマパークを楽しむための大切なポイントがあります。
疲れたら休むこと。そして、時々家にメールすること。
疲れたら休むのはわかりますよね。
では家にメールってどうするのでしょう。
それは、神仏に祈ったり、瞑想したり、夜寝ているときに夢を見たりすることです。
神仏に祈ること、瞑想すること、夢を見ることは、ふるさとの天国(ここではそう呼ぶことにします)に、感謝と共にいろんな報告をしたり、天国からの情報をもらったりすることができるため、わたくしたちは自分の体験をより深め、より楽しいものにできるのです。
ちょうど、テーマパークで楽しんでいる様子を写真にとって家族にメールするようなものです。家族からもまた、わたくしたちが楽しんでいることを知って喜んでいることや、留守の間に家族に起こった楽しいことなどが書かれたメールが帰ってくるでしょう。時には、「お天気が悪くなるから気をつけて」なんていう情報があったりして、助かったりしますよね。そういう時間をほんの少し持ちましょうということです。
 
毎日の仕事も、家事も、何もかもが人生に用意されたアトラクションなのです。
是非、ご一緒に楽しみましょう!
 
参考:「宇宙の根っこにつながる瞑想法」天外伺朗著 飛鳥新社 2005年3月3日発行