2011年8月新月

* 新月情報
8月29日お昼12時5分、処女宮5度27分の新月です。
この新月は、磨羯宮の冥王星とは120度です。物事を丁寧にきちんと行う態度と、自分自身のあり方に対する欲求とがきれいに合ってくるときかもしれません。これまで一所懸命作り上げてきたものの正体が、実は自分の目標そのものだったという感じです。
あるいは、多くの人々に影響を与えたいとか社会的に成功したいとかいう目標が、日々の細やかなことに対する思いの中で明らかになるとか、そんな感じもあります。
いずれにせよ、心の中の隠された権力欲、社会的成功への欲求にスポットが当たります。
さらにこの新月は、白羊宮の天王星と150度。秩序と変革の攻防を感じます。
現在、磨羯宮の冥王星は、白羊宮の天王星と90度。権力や成功への欲望が、底のほうからひっくり返されてむき出しになるような感じがあります。
それをどうにかこうにか片付けるというのが、今回の処女宮新月の力かもしれません。
ってか、今気づいたけど、29日って民主党の代表選の投開票の日じゃないですか。
散々に散らかってむき出しになった権力欲を片付けるのは、秩序と繊細さと丁寧さ、そして潔癖さ(!)でしょうか。
ちなみに菅さんが辞任を表明した26日は、巨蟹宮の火星と天秤宮土星がちょうど90度。新月の日にもまだこの角度は続きます。これもかなり強くぶつかり合う力を感じます。この二つの星のいる巨蟹宮天秤宮、そして前述の白羊宮と磨羯宮の四つのサインは、活動宮といって、エネルギー満タンで前に進む力を持つサインです。角度ではかなりズレがありますが、サインの関係では、天王星冥王星、火星、土星グランドクロスの関係にあります。時代を動かす大きな力を私たちに加えてきます。新しく民主党代表になる人は日本の首相にもなるわけですから、この星の力にふさわしい代表選になってほしいと思います。
そのほか、金牛宮木星処女宮の金星が120度、獅子宮の水星と人馬宮ドラゴンヘッドが120度と、安定的な角度も目立っています。
特に保護と拡大の木星と、愛と美の金星の120度は、とても美しく、やさしく、希望に満ちた感じがします。
美しいもの、特に秩序だって計算されつくした美しさを持つものに親しむと、星たちの力を得やすいかと思います。
この新月、愛と美の力を借りて、よりよいスタートになりますように。
 
* 元気を届ける、勇気をもらう
この新月の星回り、かなりインパクトの強い形になっています。
政治のことももちろんですが、皆さん一人ひとりにいろいろなことが起こるのではないでしょうか。
水星も順行になっていますし、いろいろなことがうまく噛み合って、どんどん前に進んでいけるのではないかと思います。
さて、いいことがいろいろ起こってくると、それを人様と分かち合いたい、みんなでその喜びを共有したいと思うのが人情というものだと思うのですが、みなさまいかがでしょう?
テレビなどを見ていても、活躍しているスポーツ選手の多くが必ずといっていいほど「みなさんに勇気を与えるプレーをしたい」とか、「元気を届けたいと思います」というふうに言っています。
スポーツ選手だけではありません。
ボランティアにはげむ若い人たちが「少しでも皆さんに勇気を与えることができたのではないかと思います」なんていうふうに言っています。
誰しも、自分が一所懸命頑張っていることで何らかの成果が出ると、そのことで人々に元気や勇気をあげたり、何かを人々と一緒にすることで、相手に元気や勇気をあげたりすることができると考えているようです。
また、あげたいと思う人もいればもらってうれしいという人もいます。
「頑張っている姿に勇気をもらいました」とか「素晴らしかったです、元気をもらいました」とか。もっとダイレクトに「勇気をありがとう」とかいうのもあります。
いつのころからか、元気や勇気は与えたりもらったりするものになったようですが、わたくしにとってはこれが引っ掛かるのです。
言葉の上で「与える」というのが目下のものに授けるような感じがするというのもあるかもしれません。しかし、「与える」の代わりに「届ける」にしたところであまり違和感に変わりはありません。
それはなぜでしょう。
まず答えから言いましょう。
そもそも、勇気とか元気というのはあげたりもらったりするものではないからです。勇気とか元気というものは、人と人との間で「やりとり」できるものではないのです。
なんて書くと反論されそうなので、先に反論に対する答えも書きましょう。
例えばなでしこジャパンの活躍で、元気をもらったという人、勇気をもらったという人。残念ですが、あなたの感じている元気や勇気は、彼女らにもらったものではありません。彼女らの活躍によって触発されたあなた自身の元気や勇気が大きくなったものなのです。
これは、単なる言い方の違いでしょうか?
いいえ、そうではないと思います。
もともと勇気も元気も「気」のものです。
「気」というのはみんなが持っているものです。
生きている限り必ず持っています。
そしてそれは、宇宙全体(もちろんそこには地球そのものも含みますし、人間も動植物もみんな含みます)の「気」と繋がっています。
人間の感じる喜びや努力や成功や、ありとあらゆる素晴らしいことは、互いに共鳴しあう力を持っています。
もちろん、悲しみも、そこから立ち上がろうとする強い思いも、わたくしたちは互いに一つの「気」のなかで繋がっているのです。
つまり、人様の活躍や喜びを見て心が踊り、元気になり勇気が出るのは、もともとあるわたくしたちの「気」が、互いに共鳴することによってその存在を知らせてくるのです。
だから勇気や元気を「あげる」「もらう」というのは変な話なのです。
勇気も元気も「出す」ものです。
わたくしたちは一つの大きな「気」の中にいます。
大きなエネルギーです。
その力を出すきっかけを作ることを「勇気を与える」とか「元気を届ける」といい、そのきっかけを得て勇気を出したり元気を出したりすることを「勇気をもらう」「元気をもらう」というのでしょう。
そういう言い方なのだとは思います。しかし、言葉は必ず実態を作っていきます。
あるいは言葉を使う人が頭で気づいていない深い意識を表わします。
勇気や元気を「やりとり」するような言い方は、いずれわたくしたちの意識を分断し、他人とはもともと別々なもの、理解しあわないもの、という考えを起こさせる力になってしまいます。
そのような意識を見過ごしたままでは、いかに安心安全な生活を求めても決して得られないとわたくしは思います。
わたくしたちは一つです。勇気や元気は他人同士でやり取りするものではなく、同じ宇宙の仲間として共鳴しあって、表に出してくるものです。
そんなわけでわたくし自身も、周りの人々の活躍に感動したときは、「勇気が出る」「元気が出る」という言い方を、また、自分の行いで人様が感動してくださるようなことがあれば、「勇気を出してもらう」「元気を出してもらう」という言い方をしようと思います。
皆さんも、よろしかったらご一緒に。