2010年12月満月

* 満月情報
12月21日17時15分、双子座29度21分の満月です。で、ご存知の方もいらっしゃると思うのですが、皆既月蝕です。
満月の直後17時17分に蝕が最大になるようです。
晴れると素晴らしい現象が見られますね。
もちろん、見ることができなくても、皆既月蝕は相当強力な力が感じられますので、よりいっそう多くの幸せを運んでくれることでしょう。
さて、この満月の約3時間後、18時23分に月は蟹座に入ります。
さらに翌日は冬至で、太陽が山羊座に移ります。
ですから今回の満月は、月も太陽も星座の際々のところで起こる満月です。
満月自体もそうですが、そのほかの星も星座の際にいるのがとても多いです。
水星は射手座の26度、木星魚座の25度、天王星は同じく魚座の26度、海王星水瓶座の26度。
ちなみに冥王星山羊座の4度、星ではありませんが占星ポイントとしてドラゴンヘッド山羊座の2度。これらは星座のはじめの方です。真ん中らへんにいるのは土星で、天秤座の16度。金星も蠍座の13度。初めから真ん中のあたりにいるのが火星で山羊座の10度。
つまり、満月時には十個の惑星のうち半分以上の六つの星が星座の終わりにいて、直後に月が動き、翌日に太陽が動き、足の速い金星は来年早々に射手座に入り、その後、今年の末に順行に戻った水星が再び山羊座に入り、後を追うように火星が水瓶座に入ります。さらにその後、太陽が水瓶座に入り、その直後に木星牡羊座に動いて、2月を迎えます。足の早い水星と金星は、2月4日にそれぞれ次の星座に移りますので、来年は年明けから空気の変化が慌しくなりそうです。どうか、どっしりと構えて、慌しく変わる空気を利用する側でいたいものですね。
今回の満月はその変化に向けて、いっぱいいっぱいに満ちた状態を表わしている感じだととらえることができると思います。
願いがかなうというより、努力をし切った、頑張りぬいた、その末にたどり着く「成功」の一歩前の状態。
がんばって練習した発表会の本番前の舞台袖、または、コンクールに出すために一所懸命制作した書、絵画、文章の作品を受付に提出する感じ、または、個展を開くために会場に作品を搬入した状態とか…。
そして年明けとともにブレイクするという、そういう段取りになっていますので、皆さん、ご自分の出せる力を今のうちに精一杯出しておいてくださいませ。
 
* 愛を見つける、愛を拡げる
もうすぐクリスマスですね。
今回わたくしがクリスマスの星回りで注目しているのは、海王星天王星の組み合わせです。この二つの星はもう長らくミューチャルレセプションという関係ですが、今年の夏ごろに天王星牡羊座に入ることで一旦解除されました。その後天王星の逆行でまたこの状態になり、さらにここ一ヶ月ほどは互いの距離が許容範囲1度以下でほぼぴったりの30度を形成しています。大変メッセージ性の強い配置だとわたくしは思います。しかも魚座天王星のそばには木星もいてこれらの影響をさらに拡大するような、応援するような配置になっています。木星は自分が(海王星の発見以前から)支配する魚座にいますから、その力は絶大です。
また、天王星水瓶座の、海王星魚座の支配星です。
それが入れ替わって入ること(ミューチャルレセプション)で、不思議な力を発揮することになります。
天王星は改革の星、それが、すべてを飲み込み、包む力のある魚座にあります。
海王星は夢と理想の星、それが、改革と博愛の星座である水瓶座にいます。
一人ひとりの愛の力が、新しい世界に向かってどんどん広がるような感じがするのです。しかもその愛は、恋愛や結婚というような個人の愛にとどまらないような広く深い愛です。
これらの二つの星は、星座の終わりの方にいて、来年三月には天王星が、四月には海王星が動いて、また違った力を持ちます。
今のような形は、三月の中ごろまでしか続きません。同じ星座で同じ配置でこの形になることは、少なくともわたくしたちが生きている間にはありません。
今、このときこそ、わたくしたちは自分のもつ愛の力を、ほんの少しでも多くの人に拡げるときなのです。
もちろん、その行為そのものはこれからもいくらでもできます。ただ、今の星回りは、そういった行為をとても強く応援してくれているので、すんなりと行いやすいといえるのです。
今朝(12月20日)、素晴らしいニュースを見ました。
園芸を学ぶ学生さんたちが、感染症で入院する子どもたちのために、自分たちで育てた植物を使ってクリスマスリースを作り、メッセージを書いたカードとともに、それぞれの子どもたちの病室の窓の外側から貼り付けるという活動をしたというものでした。
感染症の子どもは、保護者や医者、看護師以外の他との接触を一切避けなければならず、病室に持ち込めるものも決まっているそうです。
クリスマスが来ても、隔離された病室の中で、それらしい楽しみを得ることが困難なのだそうです。
ですから、子どもたちが喜んだのは言うまでもありません。
窓の外から学生さんたちがリースやカードを貼って子どもたちに手を振ると、恥ずかしそうに手を振り返したり、スケッチブックに「ありがとう」と書いてかざしたり、病室の中からガラスに手を伸ばし、学生さんたちとガラス越しの握手をしている子どももいました。
喜ぶ子どもたちの様子を見て、学生さんたちもほんとにうれしそうで、「最初は喜んでくれるか不安だったけど、来てよかったです。」と楽しそうでした。
それにしても、窓の外から貼り付けるクリスマスリースなんて、すごい思い付きだなあと思いました。さすがは毎日植物を育てている学生さんだと思いました。日々、愛をやり取りしているので、拡げる力も大きいのでしょう。
しかし、彼らだけが特別な存在ではありません。
わたくしたちも毎日いろんな場面で、愛をやり取りし、拡げる場面があります。
毎日のおいしいご飯、家族との会話、職場の仲間とのふれあい…。
テレビのニュースを見て感動することも、愛をやり取りすることの一つです。
毎日の小さなことに愛は隠れています。
見つけ方は簡単。「誰かが誰かの喜びのために何かをしている」という様子を発見すればいいのです。「自分の喜びのために何かをしている」でもいいのですが、それより、誰か他の人の喜びのためにすることのほうが、している本人の喜びは大きくなります。不思議ですが、そういうふうになっているようです。
見つけ始めると、それはあふれるほどに周囲に存在することに気づくでしょう。
一度気づけば、そのゆたかさに自然に胸が熱くなり、それらの愛への感謝が生まれます。
こういった愛の行為は、それ自体に物理的な利益を伴うものではありません。結果としてさまざまな素晴らしい物事を引き寄せることにはなるのですが、それを「目的」としておこなうわけではありません。
わたくしも以前は、願い事をかなえるおまじないや、願い事の書き方などについてご紹介してきましたが、このごろそういったことについて書かないのは、その行為に疑問を持つようになってきたからです。
まず願い事があって、それをかなえるために何かをする。あるいは、運気を上げるために何かをする。
それらは理にかなっているようですが、順番は逆です。
なぜなら、わたくしたちの願いはいつも天に聞き届けられているのです。天はただ、わたくしたちがそれを受け取る準備ができるのを待っているだけなのです。
すでに自分が持っているものを、欲しい欲しいと言う人がいるでしょうか。
すでに自分には欲しいものが与えられているということを知り、感謝の気持に包まれれば、天はすぐにわたくしたちの準備ができたことを知り、すでにあるその宝物をわたくしたちの目に見えるところに置いてくれるのです。
しかし、何かが欲しいから感謝をするというのは、「目的」のためにするおまじないの域を出ません。
むしろ、毎日自分がいかにたくさんの愛に包まれているかということを探すだけでいいのです。すると、「ありがとう」は自然に胸の奥から沸いてきて、口から出てきます。
あなたの周りにある愛を、どんなに小さなものでもいいですから、見つけてみましょう。
毎日ささやかな何かを見つけていれば、今わたくしたちがこうして平和に生活していることがどんなにたくさんの方々の愛に支えられて成り立っているのかということが実感でき、自然に胸の奥から深い愛、感謝が湧き起こります。湧き起これば湧き起こるほど、それは自分の周りの人々に分け与えられます。
分け与えずにはいられないはずです。
そもそもそれが、愛というものの性質です。
それを感じ取ることができれば、愛はいつでもあなたの中から沸き起こり、世界中に広がります。
来年は、今年に次いで変革の年になります。
今こそ、わたくしたちが自分の周り、自分の中の愛に気づいて拡げるときです。
愛には大きさの差はないと思います。どんなにささやかで隠れた愛も、ひとたびそれが人の目に触れると、その人の胸の中で大きく輝きます。そもそもわたくしたちの見かけではわからないくらい、どの愛も実は大きくて輝かしいひとつの愛の見え方です。
これからもそんな愛のささやかなサインに、感謝していきたいと思っています
今年も一年、お付き合いくださりありがとうございます。
また来年も、よろしくお願いいたします。