2010年2月新月

新月情報
2月14日11時52分、水瓶座25度18分の新月です。
バレンタインデーですね。
金星と木星魚座で大変近い位置にあり、獅子座の火星と150度を形成します。
またこの火星が、実は冥王星とも150度という角度で、この冥王星はここで出てくる金星木星と60度をなしている、つまりこれらの星は「ヨード」という形を作っているということになります。さらに、火星のほぼ向かい合わせ180度の位置に水星があり、この水星は金星木星冥王星のちょうど真ん中くらいそれぞれ30度の位置にあります。これはまた「セミヨード」という形で、ヨードのちょっとやさしいのという感じになります。
で、ヨードって何やねんということになりますけれど、このヨードという形が出てきたら、かなり「動きが制限される」という感じがするのです。
せっかく今回の新月はバレンタインデーだし、しかも日曜日なのでデートに誘うにはもってこいで、いろいろ作戦を立てている方には申し訳ないのですが、今回はすらりすらりと何の邪魔も入らずに進むというわけにはいかないようです。
つまり、確信はないけれど頑張って告白してみるとか、若干無理っぽいところを何とか付き合うまで持っていくとか、そんな感じですね。
だめなことはないけれど、少しだけ無理とか妥協とか、ちょっと我慢とか、そういうのが一緒についてくるという感じです。
またこの日、土星が天秤座にあって水瓶座の水星とは120度という角度を形成しております。
まじめな話し合い、きちんとしたコミュニケーションを望む場合は、シビアではありますが、実のある内容になりそうです。
もしこの日にどうしても恋の告白をとお考えの場合は、ロマンティックな雰囲気よりも、互いにきちんと向き合って、人間性を尊重する意識で臨みたいところです。
そしてもし、これから一生のパートナーとしてのお付き合いをして、互いに責任ある立場になる「結婚」をお考えであれば、天秤座の土星山羊座冥王星の90度という関係が、うんと応援してくれそうです。
特に長い間お付き合いをしていて、お互いその気持ちがあるのになかなか切り出せなかった方には、追い風の吹きそうな星回りです。
ただしこの土星冥王星の位置関係は、あかんものの清算にもちょうどよさそうな気もします。
「あかんのと違うかな。」と思っていらっしゃる方は、あかんようになると思います。
きれいさっぱり、次へ行きましょう。
ここで書いていることはかなり大雑把に全体をつかんで書いていることなので、恋愛、結婚にこだわらず、全体的な空気の動きとして読んでいただければ、お一人お一人の行動の目安として使っていただけると思います。

* 運命の人と出会ったら
新月情報のほうでも書きましたが、14日は新月、そしてバレンタインデーです。
バレンタインデーの起源は諸説あるようですが、特に厳しい宗教的な縛りがない限り、恋人同士が愛を誓うお祭りとして世界中で祝われているようです。
しかし、女性から男性に愛を伝えるというのはどうも日本だけのようですね。
ですから近頃言われる「逆チョコ」というのは、別に逆でもなんでもなく、世界基準から言えば普通のことなんですね。

さて、前回の満月時の「月よ月よのお話」では、「運命の人との出会い方」についてお話しました。今回は、「運命の人と出会ったら」ということについてです。
「出会ったらバレンタインデーにチョコレートを贈りましょう。」なんて書いたら、わたくしは単なるお菓子屋さんの回し者ですよね。
そういうことではありません。
本当にこの人と思う人と出会った時に、一体どうすればよいのかということです。
ちなみに、自分がこう動いたら相手は必ずこう動くなどというような魔法のスイッチは存在しません。一般的にはそういったものがあるかのごとく「人の心を動かす方法」や「彼の気持ちがわかる方法」を紹介するような書物が出ていたりしますが、人間の心はクイズやパズルではありません。攻略法などというものは存在しません。
本当の意味で出会うべき人と出会って、その人と望ましい関係になるただひとつの方法、それは、「誠意を尽くして接する」というただそれだけなのです。

結婚や恋愛に限らず、物事というのは自分の思ったとおりにしかなりません。
たとえば恋愛の場合、相手の好きな女性のタイプを聞き出してそのように振舞うというようなことは、大変具合が悪いことなのです。
そういった、いわゆる「小細工」をしていると、「出会うべき人」が「小細工の要る人」になり、却って縁遠くなります。

本来出会うべき人とあるべき関係を結ぶことが本当に自分にとって大切であるならば、それは相手にとってもまた大切なことなので、特別何かをしなくても、そのあるべき関係に入ることができるのです。
それを、あたかも自力で何かしなければ縁が続かないかのように振舞えば、そのように運命も働きます。
ただ、どうしても何かをしたくなるということはあると思います。
そして、そのように動かなければ、だめになると感じることもあります。
しかし、そう感じるのなら、その関係はそれまでです。
そしてその相手は、自分がそういう状況の中で苦しみ、頑張るために出会った「運命の人」なのです。
あるいは、動かなければその恋は実ったのかもしれません。
だとすれば、動くべきではないのでしょう。

どちらにしろ、恋愛というのは人生の中でも極めて重要な学びのチャンスだと思います。
好きな人を、自分の思うとおりに動かそうなどと考えるのではなく、好きな人がよりよく生きるためにそのお手伝いをする、相手のことを思い、真心を尽くして相手のためになることを行なう、それらの行為は、大変困難を極めることです。
なぜなら、その中には自分の思いを殺さなければできないこともあるからです。
しかもそれは、相手に迎合するということではありません。
真に相手のためになることを相手のためだけに行なう、それが「愛」と呼ばれるわたくしたちの持つ力の発現なのではないでしょうか。
このような力が発現されたときにこそ、わたくしたちは愛する人と、本来あるべき関係性を持つことができるのだと思います。
それが自分にとって、望むと望まざるとにかかわらず、です。

「愛しているから離したくない」
「好きだから待ち続ける」
そういう場合の願いが叶えられたときに、「自分」は幸せかもしれません。
しかし、「本当の自分」はどうでしょうか。
上っ面のエゴの部分の自分が満足しても、真の自分自身の向上にはなりません。
よりよく生きる、より本質的な幸せに近づく、そういう願いの中で運命の人と出会い、本当の愛のあり方を求めるのであれば、そのようなエゴの部分での願いは、自分のためにこそ排除すべきものだと気づいてくるはずです。
しかし、そこが辛いところです。
いかに自分のためとはいえ、いかに本当の愛のためだとはいえ、今自分の意識できる自分、その自分の願いが排除すべきものだということになれば、それはとても納得いかないことでしょう。
それでも、場合によってはそのことが必要なときもあるのです。
もちろん、「一緒にいたい」とか「離れたくない」ということが、本当に相手のためになり、互いの向上のためになくてはならないことであれば、必ず叶えられます。この場合は、叶えられてゆく過程自体が学びである場合もあります。
そしてそんなとき、わたくしたちは不思議と自分自身の幸せではなく相手の幸せを願っているものです。そして、素直に相手の幸せこそが自分の幸せだと感じられ、世界中が自分の味方のような気がしているものです。
それは、恋愛が「うまくいっているから」ではありません。
形は「恋愛」という形ですが、行動そのものが愛に基づいたものであるからなのだと思います。
だからこそ、一緒にいたいのに叶わない人というのは、表面上「うまくいっていない」ように見えても、そのような学びを与えてくれた運命の人だということになります。そう考えると、どのような状況でも愛に基づいた行動が取れるようになるのではないでしょうか。

わたくしたちは誰もが、愛に基づいた行動をとることでしか、本当の自分であり続けることはできません。ここで言う「愛」は、恋愛の愛ではありません。人類愛ですらありません。
今、自分が、世界が、ここに存在することそのものを寿ぐ気持ち、感謝の気持ちです。
自分が生きていること、世界中の人が生きていること、隣の犬がほえることも、道端に石ころが転がっていることも、自分の喜びとして感謝できるとき、わたくしたちは愛を感じているのだと思います。
その「愛」は、わたくしたち自身が持つ、神の力なのではないかと思うのです。
ですから、自分の人生の中で出会う大切な人には、その神の力を発揮したいと思うのです。
どんな出会いも、わたくしたちを成長させてくれる運命の出会いです。
だからこそ、この人生で出会う人全てに、神の力である愛を持って接していきたいと思うのです。