いいことばっかり

いいことばっかり起こるということってそうないのかもしれない。

ないのかもしれないけれど、毎日何かしらいいことがあって「うふふ」とか思いながら暮らしていると、世の中で一般に「いいこと」と言われていることが起こったりすると「うわっ、すごい!」という感動が倍増する。

毎日満足して暮らしていると、たまに起こる「いいこと」が「ものすごくいいこと」になったりするというわけだ。

これって、幸せ倍増のテクニックかな。


今朝も、コンビニのくじ引きで当たりをひいた。この数日で3回目だ。
アイスとかジュースとか、素敵なプレゼントをいただける。とてもうれしい。

また、昨日梅田に買い物に行った。たまたま献血の看板を見つけて献血したら、今回で30回目だということで、記念品として素敵なガラス製の杯をいただいた。この杯で一杯やって、さらに元気になってまた献血してくださいということか(笑)


実は、これからまだもっといいことが起こりそうな気配がしている。

本決まりになればまたここに書くかもしれない。


昨年末以来風邪をひいて、1月の半ばまでへこたれていたけれど、それからは上り調子な気がする。
大体へこたれていたって幸せなんだから、どっちでもいい気はするけれど(笑)
とはいえ、自分では3月ごろに完全浮上という気がしていただけに、今の段階でこれだと、3月には手が付けられないことになっていたりして(笑)



ところで、コンビニのくじ引きとか、献血の記念品とか、irisaciónは結構つまらないことで喜んでいるんだなと思われるかもしれない。

実はここにすごく大きな秘密があるのだ。

くじ引きの当たりとか、記念品とか、ある意味ささやかなサプライズを「素敵なこと」として受け止めるくせがわたくしにはあるが、わたくしの周りの「とても大きな幸せ」を享受している人たちはこの傾向がとても強い。
からりと晴れていいお天気なんて、それだけで世の中の幸せを一身に浴びているように「いいお天気ね!」となる。


しかし残念なことに、「何事もうまくいかない」と感じている人はそういうささやかな喜びに出会っても「いいことがあるっていってもこの程度なのよね。」と言ったりする。
すると、そのむこうにあるはずの「もっといいこと」に行く前に、その道を選ばずに違うほうに行ったりする。
これを繰り返していると、たぶんその人にとっての「いいこと」は一生起こらない。

「いいこと」を引き寄せる力の源は、「今既にいいことがたくさん起こっている」ということを認識するところにあるのではないかと思う。

「足るを知る」という言葉がある。

今こうして生きて、働いたり学校に行ったりしていることそのものがいかに幸せなことであるかを知ることが大切なのではないかと思う。

それは、どこか遠い国の人々が戦火にさらされているとか、飢餓や災害に見舞われているとか、そういうことと比べるのではない。

人様と比べて自分を幸せだと思うなど傲慢だと思うので、それはしないことにしている。

ただ、今の自分、生きている自分がここにあることの喜びをかみしめ、感謝する。

それが毎日の幸せの源だと思っている。

こんなふうに思えるようになったこともまた素晴らしいことで、また感謝感謝。

本当にありがとうございます。