カーリー

日々、女神カードをひいて、わたくしへのメッセージを受け取ることにしている。

ひかない日もある。

忘れているときだ。


こういう態度は、それほど敬虔ではないとも言えるし、溺れていないとも言える。

どちらが状況により近いのかはわからないが、少なくとも日々のさまざまなことをそれのみに頼りたいとは思わない。

その日引いたカードで、納得したり意外に思ったり、少し考えをめぐらせては日常に戻る。

カードのことなど忘れてしまっても、女神はわたくしのそばにいて助けてくれる。

そのことを思い起こさせるのに、カードは一役買ってくれているように思う。

それ以上縛られてはいけないと思う。

わたくしはカードのために生きているわけではない。


しかし、しかしである。

これだけ毎回同じカードが出れば、少し性根を入れて取り組まなくてはと思う。

「カーリー」である。

このところしょっちゅうお目にかかる。

自分でも「おっ」と思うくらいしっかり「繋がって」ひいたときに、必ずといっていいほどお目にかかるのがこの「カーリー」だ。

破壊と殺戮の女神である。

ラクタヴィージャとの戦に勝って、喜びのあまり踊り狂っていたら世界が壊れそうになったので、亭主のシヴァが慌ててわが嫁の足元に横たわってクッションとなり、衝撃を弱めたという逸話をお持ちの女神だ。

手のかかる嫁のようだ。

恐ろしい女神のはずなのに、調べれば調べるほど、なんか可愛げがあってチャーミングだ。

ふと、彼女と繋がってみようと思った。



思えばわりに簡単に繋がるもので、昨日の午後、会いにいってきた。

後ろの天使が、「え~? まぁ、しゃあないな。」と言って、カーリーに座を譲ってくれた。



驚いた。

ただ、真っ黒で、静かで、激しい気配がするだけだった。

恐怖は何もなかった。

「畏れる」気持ちがわたくしの中に静かに広がった。

ただ、それだけだった。



その夜のことである。

しばらく前に「手放した」はずの、過去の怒りや攻撃的な気持ちがむくむくと沸き起こってきた。

「何で今頃こんなこと思い出すんだろう。」と、われながらとても驚いた。

「こうして怒りが『作り出される』のだから、気をつけなくちゃと思っていたのに!」

そう思っていたら、ふと、午後にカーリーに会ったことを思い出した。

「そうか。」

きちんと手放していなかったのだ。

怒りや、そこから増幅する攻撃性を手放したつもりになっていた。

しかし実は、心の底に封じ込めて、見えない足かせになっていたのに違いない。

それを、カーリーが教えてくれたのだ。

敵の血を吸い尽くし、勝利に酔いしれるカーリーは、わたくしにわが心の敵と向き合い、戦うことを示唆してくれたのだ。

わかりやすいなぁ。


やっぱり、カーリーってチャーミングやな。