2008年9月満月
* 満月情報
9月15日月曜日、18時14分、魚座22度54分の満月です。
魚座の満月って、なんだかものすごく色っぽい感じがしますね。
魚座というのは水の星座です。「情」という言葉がとてもよく似合います。
情が濃い、情が厚い、情にもろい…。
そこを狙ったおまじないなんかが効くんじゃないかと、つい思ってしまいます。
おまじないについては、別の項目を作ります。どうかそちらをご参照ください。
14日の正午までにはアップします。(と、自分を追い詰める)
晴れたらいいですね。
わたくしはお団子でも楽しみます。
(そのためにはがんばって書かなくては)
* Zorongo
Zorongo(ソロンゴ)というのは、ガルシア・ロルカが採集したロマの歌の中のひとつです。
フェデリコ・ガルシア・ロルカがロマの詩をたくさん採集したことや、現在でもそれらの歌がフラメンコの曲として親しまれていることなどはフラメンコ関係者やスペイン語を学ぶ人々の間ではとても有名です。
(えらいはしょった説明(汗)
実はわたくしはこの歌の文句を知ったとき「あっ」と思ったのです。
この歌の文句に
La luna es un poso chico
というのがあります。
「月は小さな井戸」
という意味です。
井戸は水を汲むところです。
そして、月は女性性をあらわします。
そして、しばしば女性は水にたとえられます。
空にぽっかり浮かぶ小さな満月を、汲んでも汲んでも尽きない水の源としての井戸、尽きぬ愛情の源としての女性そのものになぞらえたと、わたくしは思いました。
ロマにとっての「月」というものについて、何か研究をしているという方もいらっしゃるかと思います。
ですから、「何をいまさら」とおっしゃるかたや、「まったく関係がない」とおっしゃるかたがいらっしゃるかもしれません。
残念ながら、わたくしは詳しいことを知りません。
でもこう考えたほうが楽しいので、一人で想像力をめぐらせています。
この歌はこの後次のように続きます。
La flore no valen nada
Lo que valen son tu brazo cuando de noche me abrazan
「花なんて何の値打ちもないの
大切なのは、夜になったらわたしを抱きしめるあなたのその腕」
女性なら花をもらうことをうれしく思うはずなんですが、もう、この二人は花なんて必要のない間柄なんですね。
(「flor」は「賛辞」の意味もありますから、一行目は「ほめ言葉なんていらないわ」と訳してもいいかもしれません。)
夜になり、輝く満月のもと、恋人の腕に抱かれながら汲めども尽きない愛を注ぐ。
ロマンチックですよね。
(ちなみにこの歌の文句はアンダルシアの方言で歌われているものを聞き覚えで書きました。
本来なら語尾に「s」が付く語もあるはずですが、聞いたまんまで書いたので、若干怪しい部分もあります。ご了承ください。)
同じガルシア・ロルカ採集のロマの詩に「月よ月よのロマンセ」というのがあります。
「月よ月よのお話」の名前の出所です。
この詩の中で、月は美しい女性にたとえられています。
月はやはり女性なんですよね。
月に関するおまじないを探しても、やはり若い女性向けのものが多く、月は女性の象徴であることがよくわかります。
それに対して太陽は男性…といいたいんですが、日本の太陽神は天照大神ですから、これまた女性です。
やっぱり女は偉い!
(って、そんなところへ行き着くのか)
「月よ月よのお話」メルマガ登録はこちらで
http://merumo.ne.jp/00531137.html
9月15日月曜日、18時14分、魚座22度54分の満月です。
魚座の満月って、なんだかものすごく色っぽい感じがしますね。
魚座というのは水の星座です。「情」という言葉がとてもよく似合います。
情が濃い、情が厚い、情にもろい…。
そこを狙ったおまじないなんかが効くんじゃないかと、つい思ってしまいます。
おまじないについては、別の項目を作ります。どうかそちらをご参照ください。
14日の正午までにはアップします。(と、自分を追い詰める)
晴れたらいいですね。
わたくしはお団子でも楽しみます。
(そのためにはがんばって書かなくては)
* Zorongo
Zorongo(ソロンゴ)というのは、ガルシア・ロルカが採集したロマの歌の中のひとつです。
フェデリコ・ガルシア・ロルカがロマの詩をたくさん採集したことや、現在でもそれらの歌がフラメンコの曲として親しまれていることなどはフラメンコ関係者やスペイン語を学ぶ人々の間ではとても有名です。
(えらいはしょった説明(汗)
実はわたくしはこの歌の文句を知ったとき「あっ」と思ったのです。
この歌の文句に
La luna es un poso chico
というのがあります。
「月は小さな井戸」
という意味です。
井戸は水を汲むところです。
そして、月は女性性をあらわします。
そして、しばしば女性は水にたとえられます。
空にぽっかり浮かぶ小さな満月を、汲んでも汲んでも尽きない水の源としての井戸、尽きぬ愛情の源としての女性そのものになぞらえたと、わたくしは思いました。
ロマにとっての「月」というものについて、何か研究をしているという方もいらっしゃるかと思います。
ですから、「何をいまさら」とおっしゃるかたや、「まったく関係がない」とおっしゃるかたがいらっしゃるかもしれません。
残念ながら、わたくしは詳しいことを知りません。
でもこう考えたほうが楽しいので、一人で想像力をめぐらせています。
この歌はこの後次のように続きます。
La flore no valen nada
Lo que valen son tu brazo cuando de noche me abrazan
「花なんて何の値打ちもないの
大切なのは、夜になったらわたしを抱きしめるあなたのその腕」
女性なら花をもらうことをうれしく思うはずなんですが、もう、この二人は花なんて必要のない間柄なんですね。
(「flor」は「賛辞」の意味もありますから、一行目は「ほめ言葉なんていらないわ」と訳してもいいかもしれません。)
夜になり、輝く満月のもと、恋人の腕に抱かれながら汲めども尽きない愛を注ぐ。
ロマンチックですよね。
(ちなみにこの歌の文句はアンダルシアの方言で歌われているものを聞き覚えで書きました。
本来なら語尾に「s」が付く語もあるはずですが、聞いたまんまで書いたので、若干怪しい部分もあります。ご了承ください。)
同じガルシア・ロルカ採集のロマの詩に「月よ月よのロマンセ」というのがあります。
「月よ月よのお話」の名前の出所です。
この詩の中で、月は美しい女性にたとえられています。
月はやはり女性なんですよね。
月に関するおまじないを探しても、やはり若い女性向けのものが多く、月は女性の象徴であることがよくわかります。
それに対して太陽は男性…といいたいんですが、日本の太陽神は天照大神ですから、これまた女性です。
やっぱり女は偉い!
(って、そんなところへ行き着くのか)
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