2011年9月新月

* 新月情報
9月27日20時10分、天秤宮4度00分の新月です。
この新月のすぐそばには水星がいるため、太陽、月、水星の三つの星と、白羊宮の天王星とがガッチリ180度で向き合っています。さらに磨羯宮の冥王星はその両方に90度。活動宮のT-スクエアができています。
何とも強烈な配置の新月です。
ちなみにこの新月と水星は、獅子宮の火星とは60度という安定的な角度を作っています。この火星は天王星とは120度になり、この緊張感の高い180度という角度を調停しています。和らげるんですね。火星が。何かちょっと面白いですね。新しいことや珍しいことに挑戦し続けて、そのためにテンション高く張り詰めた知性や感情の働きを、情熱とか意欲というものが和らげるという感じでしょうか。ちなみにこの火星は冥王星とは150度になります。こちらは綱渡り的な緊張感がありますね。
さらに天秤宮には愛の星金星と時間と忍耐の星土星が大変近い位置にいて、人馬宮ドラゴンヘッドと60度の角度です。拡大の星木星はというと、金牛宮にいて、天王星と30度です。遊んでいるのは海王星くらいなもので、他はみな何かしら別の星と連絡を取り合って仕事をしています。
そんなわけで今回の新月、夢や妄想はあまり役には立たないようです。
願い事やおまじないを使って夢を引き寄せようとするよりも、体を張って目標を実現していく強さ、アスリートのような逞しさと美しさで前に進んでいく力がものをいうことになりそうです。
また天秤宮新月は、公私にかかわらず「パートナー」との関係を見直し、より強固にしていくとてもよいチャンスになります。
今回は同じ天秤宮に金星も土星もいます。長い時間を視野に入れたパートナーとの向き合い方を、じっくり考えてみるのもいいかもしれません。
 
* ご縁、天職、運命の人
天秤宮は12星座の7番目のサイン。与えられた仕事はバランスをとること、はかること、向き合うこと。本拠地は第7宮で、ここは結婚、ライバル、パートナーのことを考える部屋です。
新月に願いをかけていらっしゃる方で、結婚相手をお探しであるとか、すでにお付き合いしている方との結婚を望んでいらっしゃるとか、そういう方にとっては絶好の機会になると思います。ご自分の気持をしっかり見つめて、お相手の気持をよく確かめて、堅実な一歩を踏み出されるといいでしょう。
新しい動きがあるといいですね。
「袖振り合うも多生の縁」
という言葉があります。
「他生の縁」と書くこともあります。
前にもこのブログで書いたような気がするのですが、気にせずすすめます。
道で袖が触れ合う程度のささやかなことでも、前世からの因縁があるのだという意味です。
道で袖が触れ合うくらいで前世からの因縁があるなら、家族や友達、恋人なんて、どんなに深いご縁で結ばれているのでしょう。
ちょっとびっくりするような気がします。
生まれた家や親兄弟はもちろんのこと、世界中にたくさんたくさんいる人々の中で、たった一人、自分の配偶者としてお互い選びあう相手というのは、どんなに縁が深いのだろうと想像すると、日々そばにいて半分見飽きた配偶者にも、この世界の不思議を感じます。
また人間関係に限らず、子ども時代からいろんな夢を描き、学校で勉強したり就職活動で頑張ったりしてようやく得た仕事や、たまたまここしか受からなかったという理由で得た仕事にも、何かの導きがあるのではないかと思えます。
こうした導きを、ご縁というふうに考えればいいのかなと思いますが、では「良いご縁」とは、いったいどんなものでしょうか。
自分の好きな人々との人間関係、自分にとって理想的な結婚相手との出会い、好きなことを仕事にしてそれで収入を得られるような会社やお客様とのお付き合い、そういうことでしょうか。
たぶん、一般にはそういうことかもしれません。
そしてそれはきっと幸福なことだと思います。
では、結ばれた相手が自分の理想の人ではなかったとか、せっかく結ばれた人とうまくいかないとか、入った会社で自分の行きたい部署に配属してもらえなかったとか、何かの仕事を目指して努力しているのに認めてもらえず、アルバイト生活をしているとか、そういうのは「良いご縁」に恵まれていないのでしょうか?
いいえ。そんなことはありません。
先ほどの「袖振り合うも…」の理屈からいえば、わたくしたちはどんな場合にでも「ご縁」に恵まれているのです。
 
一所懸命努力して入った会社で自分の仕事が認めてもらえず、やけになることもあるかもしれません。
天職だと思っていた仕事はほとんどさせてもらえず、事務仕事や雑用ばかりで、やりがいが感じられないとか。
近頃のように就職が厳しいときでも、このような理由で三年も勤めないままやめてしまうというケースがわりにあるようです。
結婚でもそうかもしれません。
共稼ぎで互いに協力し合ってよい家庭を築こうと思っていたのに、相手は仕事が忙しくて家事はもっぱら自分ばかりがやっているとか、休みの日には一緒に出かけたいのに、相手は家でゆっくりしたがり、「出かけるなら一人でいってらっしゃい」というばかりで寂しいとか。
自分が天職と思う仕事、自分が理想と思っている家庭、実際に自分が置かれた場所が、そこからずれているという人は少なくないかもしれません。
しかし、あなたの思うその天職、その理想は、真実のものなのでしょうか。
わたくしはむしろ、天職や家庭というのは、どこか、与えられるものであると考えます。神仏がわたくしたちの適性を見て、あるいは適性なんかは無視して適当に、与えてくださるのです。わたくしたちのすべきことは、如何にそれを受け入れ、楽しむかだと思うのです。
わたくしたちはどんなにあがいても、自分のやりたいことしかできませんし、世の中は自分の思うようにしかなりません。
今、あなたの置かれた境遇があなたの思うようになっていないとすれば、それはあなたがより高いステージを目指して試練を求めているか、不平不満を並べ立てる人生を選んでいるかのどちらかです。
わたくしは運命論者ではありませんから、何もかも諦めて受け入れるべきだとは思いません。
より高いステージを目指していらっしゃる方はきっと厳しい境遇の中でも強く生きる努力をされているでしょう。これは魂のレベルの話ですから、ご自分では楽な人生を生きたいと考えているつもりでも、より厳しく辛いと見える方向へ自分をドライブしていってしまう可能性があります。しかし、それが大切な修行だと知るのは、厳しい状況に陥った後、そう遅いことではないはずです。
しかし、不平不満を並べ立てる人生を選んでいる方は、どんなに恵まれた境遇でも、百も千もある美しいことや善いことを無視して、一にも満たない小さな不平不満の材料を探し出して、活き活きと文句を並べ立てるでしょう。
 
結局は、楽そうに、幸福そうに見える人生も、辛そうに、厳しそうに見える人生も、当事者が選んでいることに変わりはありません。
もし、あなたが今、自分は厳しい状況におかれていて、仕事や人間関係について良いご縁に恵まれていないのだと考えていらっしゃるならば、それは恵まれていないように見えるそのご縁が、まさしく今、神仏によってあなたに与えられ、一見試練に思えるその境遇こそが、あなた自身をより強くより高く育てるために恵まれた良縁だというふうに、視点を変えてごらんになってはいかがでしょう。
たまたま出会った人が運命の人、たまたま就いた仕事が天職。
それはたまたまにみえるけど、そこへ自分をドライブしたのは自分の魂。
わたくしはこれは結構本当のことだと思っていますが、いかがでしょうか。