2011年3月新月

* 新月情報
3月5日午前5時47分、双魚宮13度56分の新月です。
双魚宮魚座)ですから、慈愛に満ちた願いや行いが似つかわしい新月ですね。
さて、この新月天秤宮土星と150度で、やや緊張度の高い配置です。
緊張度が高いというと悪いことのように聞こえるかもしれません。でも実際はそうではなく、細やかな仕事を丁寧に繊細に仕上げていく、あの緊張感だと思っていただければいいかもしれません。繊細に、優しく、愛を広げる日になると素晴らしいなと思います。
また今回、新月と同じ双魚宮には、火星や水星や天王星もいて、とてもにぎやかです。
またその火星と、磨羯宮の冥王星、白羊宮の木星のそれぞれが強力な関係を作っており、とても大きな情熱のうねりを感じさせます。
火星は、情熱のありか、意欲の向く先を示します。現在、この火星とかかわっている星が冥王星木星ですから、その情熱の出所の深さは並大抵のものではなさそうです。
深すぎて、実際わたくしたちの生活の表面に出てきたときには、思わぬ形をしているかもしれません。さらにこの三つの星とはべつに、同様の角度を作っているのが、最近人馬宮に入ったドラゴンヘッド宝瓶宮海王星双魚宮天王星です。これも強力ですね。自分では思ってもみなかったような広い視点で物事を見ることができたり、自分だけではなく、周りの多くの人の幸せを願ったり、そんな力が湧き出てきそうです。
自然災害や、政治的な衝突など、テレビのニュースではその全貌は明らかではありませんが、それでもあちこちで大変なことの起こっている現在です。
わたくしは、一人ひとりの方がご自分の幸せを願われるのは当然のことだと思っていますが、この新月の日の星の配置を見ると、今こそ、世界の平和、宇宙の平安を祈るときではないかとも思うのです。
新月の日に願い事を書いたり、願いがかなうようにおまじないをかけたりするという方もいらっしゃると思います。そのとき、ご自分のいくつかの願い事の中に、この世界全体の平和についての一言を入れてみられるのはいかがでしょうか。
双魚宮新月は、自他の区別なく慈愛を広げるような祈りがもっとも効果的になるときです。
大変な災害に見舞われた方、政治的な混乱に身を投じる方、そしてそれらの中で負傷された方、命を失った方、そのご家族…、思えばとても多くの方が悲しみや怒りの中に身をさらされているのではないでしょうか。
直接のお手伝いは難しくとも、こういった状況にいらっしゃる皆様に、一日も早く心の平安が訪れ、魂が癒されることを祈ることは可能です。
明日の新月はぜひ、この世界全体の平安を祈りたいと思います。
 
* 双魚宮新月に思うこと
双魚宮の持つイメージは、自他の枠のない、茫洋とした広がりのある世界です。限界とか、境界というものは存在しません。全てのものがそこには含まれ、どれもこれも形を成していないような混沌とした世界をイメージしてみてください。それが双魚宮の世界です。
現在ここには太陽と月のほかに、水星、火星、天王星があり、主要な10個の惑星の半分が入っていることになります。
もうしばらくすれば月が抜け、水星が抜けます。これらは動きの速い星ですから、大きな出来事を引き起こすというタイプのものではありません。
しかし、今月の中旬には天王星が抜けます。代わりに来月にはここに支配星である海王星が入ってきます。これらはとても大きな出来事を引き起こす星ですから、わたくしたちを取り巻く状況は大きな変化を見せることでしょう。ちなみに海王星は一旦逆行して8月にはまた宝瓶宮に戻り、完全に双魚宮に入るのは2012年の2月です。そして次にここを出るのは2025年ですから、およそ13年は海王星がホームの双魚宮に滞在することになります。つまり、今年の4月から8月の間に起こる特徴的なことは、来年の2月からおよそ13年間に起こる出来事の予告編になるともいえるのです。
さて、これらの星の移動で何が起こるのかと不安に思う方がいらっしゃるでしょうか?
そんな不安はご無用です。
簡単に言えば、起こるべきことが起こるようにして起こるのですから。
なんといっても海王星双魚宮の支配星です。そして、夢や理想、目に見えない素晴らしい力をつかさどります。音楽など、芸術一般も、この海王星の守備範囲です。それがホームに帰って思うままに力を発揮するのです。なんと素晴らしいではありませんか。
現在の双魚宮の状態は、その変わり目のつなぎ目のような状態です。
実際に起こっている出来事は、月よりも他の星が担当しています。そしてそれをわたくしたちの感情の動きに投影するのは月の仕事です。
これから起こること、これまでの総決算を、この新月はわたくしたちに見せてくれています。そのため、今の状況はかなり混沌とした状況になっているのです。
 
新月情報」にも書きましたが、現在わたくしたちの住むこの地球にはさまざまなことが起こっていて、そのことによって多くの方々が痛みを感じておられます。
こうした状況で、わたくしたちにとってもっとも大切なことは、希望を持ち、明るい未来を信じることです。
それは、善を信じることであって、悪と闘うことではないとわたくしは思います。
わたくしたちは悪と戦うときには悪と向き合います。そして悪に焦点を定めます。
焦点を定めそれが無くなるように行動すればするほど、それは力を持ち、なくなっても無くなっても復活します。なぜなら悪とたたかうことを是とすると、それは悪の存在を認めることになるからです。
つまり、悪があるから悪とたたかうのです。
悪そのものをなくしてしまうためには、その悪の中にある善と向き合わなくてはなりません。
今、人間にとって悪いと言われているもの全てが、その存在の根底から「悪」そのものなのでしょうか?
例えば風邪をひいたとき、市販の風邪薬を飲んだり、病院に行って薬をもらうということもあるかと思います。
しかし、化学物質は体によくないからということで薬を飲んではいけないという人もいます。実はわたくしもそう思っていました。今でもできるだけ飲まないようにはしていますが、考え方は少し変わってきています。
なぜなら、風邪薬というものが風邪の症状を和らげるために作られたということは、そこには「病気が治りますように」「これを飲んだ人が少しでも楽になりますように」という、作った人、売る人の気持ちがこめられているのではないでしょうか。
「いや、知らんで。これ売ったら儲かると思って作ったんちゃうか?」ということも言えるかもしれませんが、では儲けてどうするのでしょうか?
家族に楽をさせてやりたいとか、気持のよい生活をしたいとか、そういう意図があるならば、そこには薬に携わる人々の自分や家族への愛があるわけです。
わたくしたちは結局のところ根源では一つにつながっているのですから、自分と直接関係のない人が幸せを感じても、まわり回って、あるいは魂のレベルでは直接に幸せを得ることができるのです。しかし、薬というものの存在自体、病気を治すものですから、その根底に、最初の気持である「病気を治したい」というものがなくては広くいきわたる商品にはなりえません。
ですから、病気の症状をどうしても抑えなければならないために薬を服用するのであれば、開発者や販売者の「この薬で病気を治したい」という最初の気持にコンタクトすることで、薬の力は愛の具現になるのです。反対に、「化学物質だけれど仕方がない」というようなところに意識をおけば、化学物質としての薬の力しか得られなくなります。
これは、薬だけに限りません。
現在、大量の二酸化炭素の排出による温暖化が問題になっています。もちろんわたくしたちは化石燃料の使いすぎによるこういった問題を無視することはできません。ですから、ガソリンから電気へという自動車の変化もうなずけます。また、火力発電から原子力発電への変化もその方向では一理あるのかもしれません。しかし、ここに至ると、多くの人が原子力発電そのものには警戒を示します。
実はわたくしは、原子力発電そのものに反対しているわけではありません。
もちろん賛成でもありません。
ただ、さまざまな事柄を考えれば、今やわたくしたちは原子力発電や火力発電以外に効率的なエネルギーの創出方法を考えなくてはならないと思っているだけです。
そういった意味では原子力発電には反対の立場かもしれません。
とはいえ、それに反対するための運動の話になると、若干辛い感じがしてきます。それは、原子力発電に反対する人々の意見がエスカレートして、原子力そのものが「悪」であるかのような表現を見かけることがあるからです。
多くの人々が原子力そのものを悪いものだとは思っていないのは明白です。問題視しているのは、発電所の危険性と、発電所建設による自然破壊、さらに建設に絡む利権などだと思うのです。
それらは明らかに問題なのかもしれません。しかし、もっと恐ろしいのは、それらの訴えに伴って、怒りや不安が生まれることです。
ですから、自然を守りたい、安心して暮らしたいという願いがあるにもかかわらず、原子力発電に反対する言葉からはとてもネガティブなエネルギーを感じることがあります。
怒りや不安は、もっとも強力なエネルギーです。そして、それらから愛が生まれることはありません。つまり、もし怒りや不安を基にしたエネルギーで発電所の建設を阻止したとしても、必ずそこにはまた別の問題が発生してくるということです。
原子力発電に反対する運動は、その根底に、自然を守ること、安心して生活することという愛の思いがあるのですから、必ず愛を拡げることに繋がるはずです。
ですから、怒りや不安を煽る言葉を使ったりしてはいけませんし、それらをエネルギーにしてはいけないのです。
どんな事柄も、愛を根底にして動くこと、愛を意識して発言することで、必ずよい方向に向かいます。
原子力発電のことは一例です。日々あらゆることで、そのことを意識したいと思います。
そのために、まずはこの新月、自他の境界を越えて、世界の平安への祈りを捧げる時を持ちたいと思います。
皆さんの愛と平安の日々が、今後も長く続きますように。