2011年2月満月

* 満月情報
2月18日17時37分、獅子宮(獅子座)29度20分の満月です。
向かい側の宝瓶宮水瓶座)では、太陽、海王星、火星が、3度以内のところにかたまっています。そのかたまりからさらに3度ほど離れて水星が同じサイン内にいますので、これも一緒にかたまっていると考えましょう。この宝瓶宮の4つの星と獅子宮の月が真向かい(180度)の位置にくるような状態になります。月は他の惑星の影響をも人間の気分や感受性に送り込んでくる働きをします。ですから、宝瓶宮のこれらの星の、情熱や知性や理想といった力を、満月がぎゅっと受け止めて、わたくしたちに伝えてくれるのです。また、これらの星とは別に天秤宮(天秤座)の土星が磨羯宮(山羊座)の金星と90度、同じく磨羯宮の冥王星が白羊宮(牡羊座)木星と約90度を作ります。
これらは直接今回の満月と角度を作っているというわけではありませんが、満月の背景、起こる事柄の土壌の深さを感じさせます。どこから来るのかわからないくらいの大きな力が、わたくしたちを駆り立てますし、それでも出たくても出られないような狭いところに閉じ込められているもどかしさをさえ感じます。土星は逆行ですから、動きさえすれば動く状態でもあります。深く埋められた球根が、土の中で芽を出しているような状態を想像していただけるでしょうか。芽を出してはいるのですが、まだ土の中です。もうすぐ太陽の輝く外へ出るときを迎えます。それは、満月を過ぎて数日、または一ヶ月ほどしてからでしょう。
前回の満月以来、どうも体調が思わしくないとか、どうも気持が落ち着かない感じがするとか、全体的に「揺れ」を感じさせるようなお話をよくうかがいます。今回の満月でも、完成した落ち着きはまだ先になるでしょう。前述したようにこの数日後になると思います。人によっては次の満月を待たなければならないかもしれません。
次の満月は3月20日、春分の日の前日です。長いように思えますが、それでも待つのがいいと思います。こんなときには無理に頑張る必要はないのです。
無理に頑張らなくても、時が来れば自然に動くことになるだろうと思いますから、その動きに任せてみましょう。
ただ、無用な心配はしないということが行動の基準にはなるでしょう。なぜなら、ほとんどは気分の問題だからです。月に支配されるのは気持ち、気分だけです。起こる事柄に良し悪しはありません。その判断は気分がするのです。それを忘れずにいれば、この一ヶ月どころか、一生安心して暮らせます。そのような楽観的な心のありようを手に入れたいものですね。
 
* 体の外の「体」
さて、前回の満月以来「揺れ」を感じている方が多くいらっしゃるということを書きました。実はわたくしも揺れが激しく、胸が震えて止まらなくなったときもあります。
今はずいぶんおさまりましたが、それでもふとしたことで震えだすことがあります。
もちろん見た目に震えているわけではありません。震えているのは肉眼で確認することのできる肉体ではなく、エーテル体といわれるものだと思われます。
一般に「オーラ」と呼ばれるものはこのエーテル体などが何らかの形で感知されるときの呼び方ではないかと思います。
わたくしは、陽炎のように人体が何かを発しているのは子どものころから知っていましたが、それは体温による湯気だと思っていました。(違うということがわかったのは大人になってからです。)
そういうわけで、テレビなどでいわれるほど、このオーラというものをはっきりと見たことはありませんが、手で触った感触はよくわかります。
わたくしはレイキヒーラーですので、ヒーリングの時にはもっぱら手を使います。ヒーリー(ヒーリングの受け手)の体から10センチとか20センチほど離れたところに手を置きますと、その人の肉体とは別のもう一つの「体」を感じることができます。
ヒーリーが横になっているときには、ヒーラーは自分の手の高さを変えて、さまざまな距離からヒーリーの「体」に触れます。そして手に伝わってきた感触から、ヒーリーのどこに手を当てるべきかが判ります。
このとき触っている「体」が、オーラと呼ばれるもの、つまりエーテル体や、その他の「体」だと思われます。
エーテル体の外側にはアストラル体、その外にはメンタル体、さらにその外にはコーザル体と呼ばれるものがあって、順に周波数が高くなり、ハイヤーセルフに近づいていくといわれています。実際、手のひらでヒーリーの「体」を触るとき、肉体に近い位置よりも離れた位置の感覚のほうが深い場所を表わすといわれますから、そのとらえ方と共通しているのではないかと思われます。つまり「体」というのは、わたくしたちの肉体から遠いところまで広がっていけばいくほど、わたくしたちの本質に近い、魂の深みに近づくということになります。
そして魂の源泉は一つなわけですから、わたくしたちのこの肉体から遠のくほど、わたくしたちの魂の源泉である一つの存在に近づくわけです。こう考えれば、わたくしたちが「外」であり「遠い」と感じているのは、実はわたくしたちの本当の内側で、わたくしたちのこの肉体そのものは、その本当の内側から見れば一番外であるということになります。
おかしな話かもしれませんが、わたくしたちの外側は内へ向かって深まり、内側は外に展開しているのです。
さて、こうして層のようになって外へ広がって(内へ深まって)いる「体」ですが、これらは本当は肉体から何センチというような状態で存在しているのではないと思います。確かに肉体は目で見て手で触って判りますし、そのすぐ外側にある「体」も、見える人もいれば触れる人もいます。しかし肉体以外は、エーテル体も含めて、もっと自由な広がりを持っているのではないかと思うのです。
このような肉体の外の「体」は、肉体に迫れば迫るほど、ぴったりと合わされば合わさるほど、肉体の感覚に寄り添い、魂の本質から離れたようになるのかもしれません。しかし、瞑想やヨーガなどの修行、宗教的な行事、またはヒーリングなどによって、それらの「体」の自由度が増したとき、わたくしたちは魂の深みに迫れるのではないかと思います。
つまり、肉体に対する意識が強ければ強いほど、これらの「体」の自由度は低くなり、肉体の限界に縛られます。反対に、意識を肉体の外にひろげれば広げるほど、これらの「体」の自由度が高くなり、世界中、あるいは宇宙全体へ広がっていくことも可能になります。何しろ、もともとは全ての存在の源に繋がっているのですから、それも可能ですよね。このように自由な状態ですと、さまざまなエネルギーを自在に受け取ることができますし、合わせていく周波数が高ければ高いほど、魂の深みに近づくことができるはずです。それは愛と感謝に満ちた、大変素晴らしい感覚です。
 
では、いつもいつも肉体の外に広がる「体」は、自由で茫洋としていていいのでしょうか。
答えは、YesでありNoでもあると思います。
今書きましたように、「体」の自由があれば、全ての存在に繋がる愛と感謝に満ちたあり方に近づくことができます。しかし、この肉体の感覚と肉体のあり方だけで生きていると、そのようなあり方からは遠のき、エゴに振り回され、本当に自分の生きるべき道や、自分にとって本当に大切なことを見つけるのは難しいと思うのです。
しかし、「体」を常に肉体から離してしまっていると、そのようにして生きるべき自分の本当の在り方を、現実世界で実現することはできません。
わたくしたちは何らかの目的を持ってこの世界に生まれてきました。愛と感謝に繋がる存在として、この世でその目的を達成するために生まれてきたのです。その目的の達成、自己実現は、この世に存在している限り、この肉体をもってしかできません。
自分の本来のあり方に触れたり、いろんな場面でアンテナを働かせたり、先を見通したり、そういったことをするのは高次の「体」ではありますが、それによって得た目的や生き方を実社会で実現するのは、この肉体に他なりません。
わたくしたちは、この世で、この地球上で生きているわけですから、目で見て触れる肉体と、見えないけれどもある「体」。これらが常に一体で働くことで、よりよい生き方を見つけ、実現していくことができるのです。
そのために大切なのが、グラウンディングやセンタリングといわれる状態です。
グラウンディングは「地に足が着いた状態」、センタリングは「自分の中心を感じ取れる状態」と思っていただいたらいいでしょうか。
自分が重力を持った人間であり、「今、ここにいる。」という実感を持ってはじめて高次の「体」の存在をも肯定できるわけです。反対に、肉体の意識が足りない状態では、高次の「体」の着地するところを失った状態で、むやみにそれらを探しに出かけるようなものです。寄港する港もないのに大海原にあてもなく出かけていく船はありませんし、着陸する空港も決めずに離陸する飛行機もありません。
わたくしたちは、肉体をこの世の基地として、魂の冒険をするのです。
これは、あらゆることにおいてあてはまります。
神社仏閣に詣でたり、お守りを持ち歩いたり、それは大切なことですが、それだけではどうにもなりません。真面目に働いたり、趣味を楽しんだりという、ごく普通の生活の中で実現できることをしていなければ、神様も仏様も、そのご利益の置き所に困られると思います。
毎日の生活の中でできる普通の努力があってこそ、神仏のご加護も目に見えて顕われやすいのだとわたくしは思います。
だから、一所懸命働いたり、映画を見たり、健康に気をつけたり、親孝行したり、そんな普通の生活があってこそ、その人の高次の「体」の力が増してゆくのだと思うのです。つまり「オーラが輝く」のです。
毎日の生活を元気に送りつつ、瞑想や祈りの時間を大切にする、そんな生活を送れるように、日々努力していきたいと思います。