2010年11月新月

* 新月情報
11月6日13時53分蠍座13時40分の新月です。太陽と月を含めて蠍座に四つの星があります。その、星の集まった蠍座の支配星である冥王星は、このところドラゴンヘッドと重なって山羊座にあります。ドラゴンヘッドは「縁」を表す感受点です。(実際の天体ではなく、地球から見た月の軌道と太陽の軌道の交わる点の一方です。もう一方はドラゴンテイルといいます。)2度程度を許容範囲(オーブ)として考えると、10月の中ごろから12月の下旬ごろまで、この二つの点は重なっていることになります。この重なりのある山羊座の支配星は土星で、現在天秤座にあり、今回の新月(つまり太陽と月)と30度(セミセクスタイル)を形成しています。また、この土星の位置する天秤座の支配星は金星で、現在は蠍座にあります。
また、蠍座のもう一つの支配星である火星は射手座にあります。射手座の支配星は木星ですが、この木星蠍座にある水星が120度(トライン)を形成しています。
と、今回の新月の星回り、このように大変複雑に絡まりあっています。といいましても、いつもそれなりに絡んでいるのですが、たまたまわたくしがそこまで言及しないだけです。今回はこの絡まりを解くキーになるような金星と木星が逆行しているため、たぶん何かと物事がするする運ばないという方もいらっしゃるのではないかと思って書いてみました。
かく言うわたくしも、金星が逆行を始める少し前のブレーキを掛けたように泊まった状態のあたりから風邪をひき、今月になって腰痛を起こし、また風邪がぶり返しと、「これやったら金星逆行を地でいってるやんか。」と言いたくなるような気分でおります。
金星と木星は11月18日まで逆行で、ここ1~2ヶ月あまり調子がよろしくないとおっしゃる方は、11月の中ごろには少し調子が上がってくるのではないかと思います。それまで少し動きを緩めてみられるのはいかがでしょうか。
ちなみに、冥王星とドラゴンテイルのランデブーですが、隠されたところ、今まで努力してきて目のでなかったところ、あるいは忘れていたような事柄、古い記憶を呼び覚ますような事柄に、何らかの縁があるような感じがします。
古さのレベルとしてはご先祖様や過去生とのかかわりのような気がします。
もちろん、もっと新しいのもありかもしれません。どちらにしろ、楽しみなことではあります。
* 「時間」の考え方
もう11月になってしまいました。
時のたつのは早いものです。一年が過ぎるのもあっという間ですが、何より一日の過ぎるのが早く、毎日仕事や家事に追われているうちに寝る時間になってしまうという方も多いのではないでしょうか。
現代社会では、何事も効率よく無駄なくおこなうことで成果をあげ、自分の目標に近づく努力をするのは普通のことです。ですから、一日を無駄なく過ごすためにさまざまな用事を詰め込んで、朝起きてから寝るまでの間にできるだけ多くの事柄を片付けようとすることになります。場合によったら寝る時間を削ってまで仕事を仕上げなくてはならない場合もあります。
こういうことができるようになったのも、文明の発達で電気が使え、深夜にも明け方にもかかわらず仕事でも何でもできるようになったからですよね。
では、こんなふうに電気のなかった時代はどうしていたのでしょう。
たとえば江戸時代。テレビの時代劇などを見ていると、行灯やろうそくの明かりで繕い物をしていたり本を読んでいたりしていますが、実際はそんなことができるほど行灯やろうそくの光は明るいわけではありません。さらに、行灯の油も節約したいですし、ろうそくなどは一般庶民が気楽に買うことなどできない高価なものでした。
日が沈めば寝てしまい、日が昇るころに起きて働くのが庶民の生活でした。
もちろん昔でも、夜遊びする人や夜遅くまで読書する人はいましたから、例外はあります。それでも、多くの人々の暮らしは、太陽とともに起きて太陽とともに眠るのでした。
わたくしたちは一日を二十四時間に分けて考え、それを基準に毎日の生活を送っています。江戸時代には一日の時間は十二分割でした。さらに、時間の分け方は大きく分けて二種類あり、一つは今わたくしたちが使っている時間の割り方を二時間で一刻ととらえて午前零時を子の刻として「子、丑、寅…」と割り当てていく「定時法」です。
またもう一つは、日の出の直前を「明け六ツ」日没直後を「暮れ六ツ」として、その間をそれぞれ六等分する「不定時法」です。
江戸の人々はこの二つの時間を使い分けていましたが、定時法は主にお武家の御役目に使われたもので、日常生活では「不定時法」が使われました。
不定時法は、季節によって一刻の長さが違いますが、次のようなわけ方になっていました。
明け六ツ(夜明け前)→五ツ(始業)→四ツ→九ツ(昼)→八ツ(おやつ)→七ツ→暮れ六ツ(日没後)→五ツ→四ツ→九ツ→八ツ→七ツ→明け六ツ
一日の区切りは明け六ツなので、夜明け前は「昨日」です。
そうなると、自然と冬場は一日が短く、夏は一日が長くなるわけです。そこで、秋分を過ぎてからの冬の時期を短日、春分を過ぎてからの夏の時期を長日といいました。
話が横道にそれますが、一般庶民のおうちでは、大工さんを雇って家の普請をするのには、長日が選ばれることが多かったそうです。何故かというと、大工さんのお手当ては一日いくらの「日当」です。同じ金額で一日あたりの労働時間が長いほうが、仕事が速く進んで、当然お支払いする額も少なくてすみます。いつの時代もお支払いを少なくする工夫はなされたのですね。
現代のわたくしたちの感覚では、季節によって「時間の基準」が変わるなんて戸惑うのではないかと思いますよね。しかし、この不定時法による時刻は「時の鐘」によって知らされましたので、間違うことはありませんでした。また、太陽の位置によってもおよその時刻を知ることはできますので、江戸の人々にとっては不便はなかったのです。
明るいうちに働いて、暗くなったら眠る。寒い冬は労働量が減り、暑い夏にしっかり働く。
冬は今よりずっと寒かったでしょうし、夏は今ほど暑くなかったはずですから、そういう自然に沿った時間の感覚は、大変合理的だと思われます。
さて、こんなふうに自然な時間の流れを身につけていた江戸の人々は、さらにゆったりとした時の感覚を持っていました。
たとえば、「四ツにうちに来てください。」といわれれば、わたくしたちの感覚なら「四ツ」の時間ぴったり、つまり現代で言う午前十時きっかりに行かなければならないと考えます。(まあ、この午前十時も季節によって揺れはありますけれど、それは置いておいて。)しかし江戸時代は、「四ツ」といえば「四ツ」の鐘が鳴りはじめてから次の「九ツ」の鐘が鳴るまでのおよそ二時間(これも季節によって長短あり)の間を指します。当然四ツといえばこの二時間ほどの間に行けばよいものとなります。そしてそれでよいのです。もし、四ツきっかりという約束をしたければ、「四ツの鐘が鳴り止むまでに」というふうに言わなければればなりませんでした。
それほど、何事も緊密なとらえ方でなくゆとりのある捉え方をしたのが江戸の人々だったようです。
江戸の社会は、こういった緩やかで鷹揚な庶民の生活がある一方で、かなりきめ細やかな司法制度や、高度な循環社会が成立していました。しかし、これらの高度できめ細かい社会制度は、庶民の鷹揚なものの考え方がなければ成立しない種類のものでもありました。
というのも、どんなに細かく定められた決まりでも、運用するときには幅をもたせなければあらゆる場合に対応しないからです。また、実際には法に反した行動でも、公には罰せられないように、それでもそれなりに責任を取らなければならないように、周囲の配慮がなされたのです。
もちろん、司法が機能していないというのではありません。悪質なものは厳重に処罰されました。しかし、関係者の話し合いで何とかなるのであれば、訴えずにおこうという感覚があったようです。
また、江戸時代は徹底したリサイクル社会でした。着物や家具だけでなく、紙、ろうそくなど、再利用できるものは徹底して再利用したのです。
これはまた回を改めて書きたいと思いますが、これらも、やはりゆったりとして、自然に沿った生活ならではのことだと思います。
さて、江戸時代は鎖国をしていました。
一部の場所や人々を除いて外国の文化に触れることは禁じられていました。当然、西洋の時間の感覚や決まりは入ってきません。およそ二百六十年もの間、日本独自の生活を守っていました。
しかし、開国とともにどんどん欧米の文化が流入し、日本はそれらを闇雲に受け入れていくことになりました。一日を二十四時間に分けて考える方法が使われるようになったのも、このころです。
時間だけではありません。今わたくしたちが当然と思っているさまざまな事柄は、明治になってから日本の生活に取り入れられた欧米の習慣であることが多いのです。
もちろん、そのおかげで生活は合理的になりましたし日本は経済大国にまでのし上がることもできました。
しかし、この状態でよいのでしょうか?
もちろん、いまさら時間の基本単位を変更しろなどといっているわけではありません。
江戸の人々の、自然にあわせて自然を生かして生きる姿勢を、今一度考え方にとりいれてみてもいいかもしれないと、わたくしは思うのです。
とりあえずは、夜更かししないとか、早起きするとか、そんなことでしょうか。(近頃早起きはさぼっていますが…(爆)
それでもそういった小さなことから初めて、いつか「自然の中の自分」を、より自然に体感できたらいいなと思っています。
江戸時代の仕組みは、他にもいっぱい魅力的なものがありますので、またおいおいご紹介したいと思います。きっと、わたくしたちの求めるスピリチュアルな、自然に沿った生き方のヒントが見つかるかもしれません。