2010年5月新月

* 新月情報
5月14日午前10時05分、牡牛座23度9分の新月です。
この新月は双子座の金星と30度で、ちょっときらきらとした優しい感じを受けます。
この金星は、現在牡牛座にある水星と、持ち家を交換して住んでいる状態(ミューチャルレセプション)です。
そしてこの水星は順行に戻ったばかりで、山羊座で逆行中の冥王星と120度というきれいな角度です。先月の末頃から、古い資料や思い出の事柄の中から何かよい発見があったという方もいらっしゃることでしょう。この新月からは、それらがどんどん次の進展に向かって使われるのではないでしょうか。
さらにそういう古いこと、過去のことを踏まえた新しい情報がとても素敵な形で入ってくる方もいらっしゃるでしょう。
さて、この冥王星と水星の120度は、24日ごろまで続きます。まだまだ、思いもよらない発見がありそうです。何か隠しておきたいことがあるという方は、どうかご用心召されますよう。
さて、相変わらず天王星木星は近いところにあり、この二つの星の真向かいに土星があります。
この180度という関係は、昔から緊張度の高い角度として知られます。
しかも、土星天王星の作る180度です。
これは大変ダイナミックです。
何回も書いてしつこいくらいですが、ダイナミックです。
今回の新月はこの180度の土星と120度、天王星とそのちかくにいる木星とは60度というとても素敵な角度を持っています。
もし、何か新しいことをはじめようとか、今までの自分にはない新しい面を開拓してみようとか、そういうことにはうってつけのような気がします。
「そんなすごい変化なんかないよ。」とおっしゃる方も、今回の新月をきっかけに、ひょっとしたら今年の夏はびっくり仰天の夏になるかもしれません。
今、もうそのびっくり仰天の兆しが見えているという方もいらっしゃるかもしれませんね。
さて、このびっくり仰天の予感のもととなっている天王星のことについてですが、2009年12月の新月のときにいろいろ書いていましたので、またひっくり返してお読みいただければ幸いです。
こちらです↓よろしくお願いします。
 
新聞やニュースを見れば、世の中には不安材料が多々ありますが、個人的なレベルでは大きな成長につながる素晴らしい星の動きではないかと、わたくしは期待しております。
皆様にとってこの新月が、素敵なスタートになりますように。
 
* 神様のこと
先日、もう一つのブログのほうに、GWにいろんなところへ出かけたことを書きました。
そのときに、本当は磐船(いわふね)神社のことを書きたかったのですが、これはやはりスピリチュアル系のことだと思って今日になりました。
磐船神社は、 大阪府交野市 にあります。
ここは、ニギハヤヒ命が乗ってこられた天磐船(アメノイワフネ)をご神体としてお祀りし、天孫降臨の聖地として大切にされてきた神社です。
ご神体である大きな岩の前に拝殿があり、そこでお参りをすることになります。
ところがそこからさらに奥には、岩々が折り重なるトンネルのようなところをくぐって通る「岩盤めぐり」の修行場があるのです。
岩盤めぐりの行をする人は、社務所で一人500円をお納めして、白い装束をお借りして、荷物を預けます。装束は甚平や羽織のような形ですから、服の上から着るだけでよく、手軽です。
岩盤めぐりはご神体である岩々の間をくぐって進みます。両手両足をフルに使って岩の間をくぐったり登ったりするのです。
映画の「インディ・ジョーンズ」さながらです。
もしこれをお読みになって興味をお持ちになり、ぜひお参りしたいと思われる方は、必ずジャージなどの動きやすい服装と、水にぬれた岩の上でも滑りにくい靴でお出かけください。
これは私見ですが、高いところ、狭いところ、先の見えないところが怖いという方にとっては少し辛いかもしれません。
また岩盤めぐりには年齢制限があり、10歳以上75歳未満の方でないと受け付けていただけません。
そのほかの約束事もありますので、あらかじめ、ウェブでご確認のうえお参りになることをおすすめします。
磐船神社のHPです。↓
 
さて、磐船神社だけでなく、岩や滝などを神様としてお祀りする神社は日本全国にあります。
古代の日本では、こうした岩や山、滝、大木など、自然そのもの、森羅万象を、神として畏れ崇めていたのです。
ですから、もともと日本の神様というと、このように岩や滝や山がご神体となっていて、人間の形をした「神様の像」を拝むというスタイルはありませんでした。
「神像」というものもありますが、多くは平安時代から鎌倉時代にかけて作られたもののようです。また、長い間本殿の奥深くに祀られていたりして、仏像のようにオープンに拝めるものではないので、一般的にはあまり知られていないということです。
さて、お話を古代に戻して…。その後さまざまな王権が成立してゆくことで、それまであった信仰の場(聖地)が新たな政権の神を祀る場として生まれ変わっていきました。
古代にはそうしたことの繰り返しがあったのち、現在の天皇家を中心とした日本の神道の神として祀られるというかたちになったのだと思います。もともと神様の祀られている場所はそれにふさわしい、美しくて、尊さを感じさせる場所です。
そんな場所を壊して新しい政権の「神様」を作るよりは、もともとの土地やその神様を尊重し、融合することによって、新しい政権がお祀りする権利を得ると考えるほうが自然かもしれません。
だって、政権が変わったからといって、神様がそんなに簡単に入れ替わるなんて考えられませんものね。
ですから、基本的にはみんな同じ神様、つまりそこにある自然の力、森羅万象を祀っているのだと思うのです。ですから、祀っている神様は誰が祀ってもその土地の神様であり、その土地の自然そのものだと思うのです。変わるのは、祈るときの言葉とか、装束とか、しぐさの順番とか、そういうお作法的なこと、つまり祀る側の人であって、「神」はやはり「神」だと思うのです。
わたくしたち人間が既に神様の中にいて神様の顕われであると考えれば、誰がどうやって祀っても、神様はそこで静かにわたくしたちを守ってくださると考えることができますよね。
だから、誰が祀っても、どう祀っても、最後には神様につながっていると思うのです。
もちろん、心から感謝し、一所懸命お祀りするのは、基本中の基本だと思います。
大切にお祀りする気持は必ず正しい作法や祀り方に導かれるとわたくしは信じています。
 
そんなわけで、山や滝などをご神体としている神社は、天皇家以前から長く長く土地を守ってくださっている神様をお祀りしているということになりますね。
もちろん、そういう古い神様をお祭りした神社ばかりではありません。
天皇家ができてから後に、時の政権の考えで新たに造営された神社はたくさんあります。
また、仏教との関係を考えに入れると、もっといろいろな歴史が絡みます。
そういう歴史的なことを考えに入れてお参りすると、さらに興味がわいてくるのですが、やはりお参りはお参り。
「神様、ありがとうございます。」
と心をこめて手を合わせるということだけは忘れないようにしようと、わたくしは思います。
 
ちなみに、わたくしはどこの宗教団体にも属しておりません。
お正月には神社に初詣。お彼岸やお盆にはお墓参り。クリスマスには地域の子どもたちとパーティー。つまりどこにでもいる、宗教意識の薄い人間と思っていただければ当てはまります。
「宗教意識が薄いのに、神仏に手を合わせるのか。」
というご指摘を受けそうですが、これには「はい、そうです。」と、お答えせねばなりません。
ある宗教団体の方にお話をうかがうと、「団体の中ではいろいろ決まりが多いけれども、たくさんのことを学べる」ということです。多くの人々と神仏に祈る気持を共有したいという方の場合は、宗教的な団体に入るのは有効かもしれません。
ただし、わたくしのようなずぼらな人間は、団体のみなさんと信仰心をシェアする前にギブアップしそうですので、マイペースに一人で拝むほうがよさそうです。
宗教というより、単に「神仏」そのものが好きなのかもしれません。一種の趣味のようなものです。
そして、氏神様やお地蔵様で出会うご近所の皆さんと「おはようございます」とご挨拶することを楽しみに、ぶらぶらと朝のお参りをするわけです。
そういう毎日の中で、さらに深く、近く、神様に接していきたいと思ったときに、少し脚を伸ばしていろいろな神社におまいりに行くのです。
自由気ままに、何かに導かれるままに、ふらふらと出かけます。
自分から動くこともありますが、不思議なもので、その時そのときに誘ってくださる方がいらして、素晴らしい場所に連れて行っていただけることがあります。
これも神様が呼んでくださったのかなと、感謝しきりです。
 
さて、わたくしはこのようにのんびり型ですが、人それぞれ、神仏に手を合わせるスタイルは違うと思います。皆様も、ご自分のスタイルに合わせて、ご自分の神様により近づいていかれると、素晴らしいと思います。
明日は新月です。見えないお月様に手を合わすというのも、素敵かもしれませんね。
 
参考 「日本の神様」 畑中章弘著 理論社