目覚まし時計

去年の秋から早起きを心がけている。
そうは言っても、毎朝早く起きるのは大変だ。
そもそも生来の寝坊助である。
以前は目覚まし時計を、3メートルほど離れたところにおいていた。
布団から起きて立っていかなくてはならない距離だ。
にもかかわらず、目覚まし時計を止めてまた布団に戻っていた。
そんなわたくしだが、最近は、早くて4時過ぎ、遅くて6時半という時刻に、目覚まし時計なしで目が覚めるようになった。
本当は毎朝5時半に起きたいのだけれど、そこは出たとこ勝負だ。
 
だいたい早起きしたって、急いでしなければならない仕事なんて何もない。
早く起きて遊んでるだけなんだから、目覚まし時計も要らない。
だから、昨夜2時ごろ寝たときも、目覚まし時計をかけるなんて考えもしなかった。
ぎりぎりの7時半まで寝てたって問題はないからだ。
 
で、目が覚めたのは6時半。
やや睡眠不足を感じたが、せっかくなので起きて散歩に。
たいしたものだと、ちょこっと自分をほめたりしながら、ぶらぶら歩く。
 
 
だいたい目覚まし時計などというものは、ないほうが気持ちよく起きることができるのだ。
どうも、あの、「ピピピピッ」とか「ジリリリッ」とかいう音が耳元で鳴ると、「叩き起こされる」という感じがする。
なんとなくするっと目が開いて、時計を見ると6時とか、そういう感じが気持ちいい。
 
今週の火曜日に、朝6時過ぎにするりと目が開いた。起きてもいいし、寝ていてもいい。
ところがそこでふと思い出した。
ティッシュ配り!」
実はこの日、交通安全協会と警察署とで、春の交通安全週間の活動の一環として街頭でのキャンペーン活動が予定されていて、わたくしも運送会社の一員として参加することになっていた。
しかも集合場所が一駅向こうだ。
開始が8時なので、7時50分に集合だ。
通勤通学の皆さんに、パッケージに標語なんかが印刷されたティッシュを配って、交通安全を呼びかけるのだ。
 
よく思い出したことである。
本来なら出勤する時刻が早まるわけだから、遅刻防止のために目覚まし時計をかけて寝るはずなのだが、そんなこと忘れてたので、野放しだった。
 
それでも、おかげさまできちんと起きることができて、散歩もして、朝食もとって、のんびり集合場所にいけた。
 
こうして考えてみると、なんだか、とても豊かな生活だ。
 
お金も大事。
でも、時間も大事。
多寡の問題ではない。
使い方の問題。
だって、時間だけは誰にだって、24時間きちんとあるんだもの。
だから、お金と時間をうまくコントロールできたら、ものすごく気持が豊かになる。
 
気持が豊かなのが、やはり本当の豊かさ。
豊かさはやっぱり幸せにつながる。
この順番は逆でもいい。
幸せな気持で物事をおこなっていると、どんなに盛りだくさんのスケジュールでもゆったりできるような気がする。
幸せな気持で使えば、100円玉一個もものすごい財産だ。
 
そんなわけだから、眠りだって幸せに楽しみたい。
だから、いい気持で寝ているところを叩き起こすような目覚まし時計は、よほどのことでない限り使わない。
使わなくても目覚められる、気持のよい眠りを得られることに感謝!
毎日の幸せに感謝!