2010年3月新月

新月情報
3月16日午前6時02分、魚座25度10分の新月です。
この新月は、水星と天王星の二つの星と大変近い位置にあり、0度の関係とすることができます。
新月ですからもちろん太陽と重なっているわけで、太陽、月、水星、天王星の四つの星が、揃って魚座の25度付近にいるわけです。なんだか面白くて新奇なことが始まりそうな新月ですね。
獅子座にいる火星が先週から順行に転じていますし、金星が牡羊座にいますから、とても元気よく活動的な雰囲気も漂います。
ただ、新月魚座ですし、そこで水星と天王星が絡んでいるわけですから、「加減っちゅうもんを考えなさいよ!」という感じもしないではないです。
どちらにしろ、春分にも大変近いことですし、お願い事をするなら「みんながうれしい、わたしがうれしい」お願い事をされてはいかがでしょう。
魚座は愛と献身の星座です。「世界に役立つわたし」とか、「世界に喜ばれるわたし」になるっていう種類のお願い事が、ものすごく叶うんじゃないかなという気がします。

* 「いい人」になろう!
今回の新月魚座で起こります。
魚座というのは、愛と献身、奉仕の星座です。
水のエレメントに属し、支配星は海王星です。これは神秘と芸術の星です。
さて、魚座(ここでは、魚座生まれの人という意味ではなく、星座そのものの性格として書いています。)というのはまことに不思議な性質を持つ星座です。
この星座は、「愛と献身と奉仕」の星座です。支配星である海王星は、神秘的なことや芸術的なこと、アルコール、ドラッグ、音楽、詩、心霊現象など、うつくしく、心をうっとりさせるものから、うっとりさせた後あらぬところへ引きずり込んでしまうものまで、心と体を「違う世界」へ引き込む性質を持ちます。
生まれたときのホロスコープ魚座に関連したところに星をもっている人の中には、いわゆる心霊現象的なものを体験する人も多いようです。
わたくしも何人か魚座生まれの人を知っていますが、多かれ少なかれ「見る」「聞く」力をお持ちです。わたくし自身も魚座に星を持っており、なるほどとうなずけることがあります。
心霊の世界というものは、わたくしたちの世界から隔たった別のところにあるような気がしますが、実際はわたくしたちの世界に重なって、あるいは混じりこんで存在しているのではないかといわれています。そもそもこれらには境界というものがなく、常にわたくしたちはエネルギーのレベルで行ったりきたりしているはずなのです。
それと似たような性質が、魚座にはあります。
そしてそのような境界の曖昧さが、魚座の持っている愛と献身の姿勢をより強力にします。というのは、「自他」という境界のない魚座にとって、人様に向ける「愛」「献身」「奉仕」は自分にむけるものでもあるからです。
人様に対して「献身的」であったり「愛情深い態度」であるというのは大変難しいことです。
難しいことですが人様に喜ばれます。だからこそ、そういった態度は昔から大変評価の高い事柄です。
具体的には、周囲の人々に気を配り、しんどい仕事も損な役回りも率先して引き受けるということでしょうか。
残業を命じられても断らない。休日出勤もお安い御用。飲み会には必ず顔を出す。
頑張ってお仕事をしている方には当たり前のことかもしれませんが、日々の生活の中で、周囲の人々への愛がなければ、こういったことを続けるのは大変ですよね。
もちろん、これらのことがしんどくて、いつもストレスを感じているという方もいらっしゃいますよね。
それでもわたくしたち人間は、周囲への気配りや献身をやめることはありません。
もちろんそのことそのものが楽しいからかもしれませんが、やはり人様に喜んでいただきたい、少しでもお役に立ちたいという思いで続けているという方がほとんどなのではないでしょうか。
その結果「いい人」という評価を得ることになるのですが、やはりどなたにもそう思っていただけるのはうれしいことには違いありません。
しかしいつごろからか、「いい人である必要はない」という種類のことが言われるようになりました。
「いやなことは断っていい。」「会社は定時に出てもいい。」
というようなことについて、きちんとその理由や効用について述べられた本もあるようです。
どんな頼まれごとも、たとえそれが自分の意に反することでも、必ずよい返事をして一所懸命こなすように努力することに警鐘を鳴らしているのです。
実はわたくしもその意見には賛成です。
ですから、参加したくない集まりには参加しませんし、個人的なお誘いもお断りすることが多いです。
「いい人」はすっかり卒業したような気がします。
わたくしは、昔はお友達同士のあらゆる集まりに参加し、頼まれたことは必ず引き受けて一所懸命にこなしていました。結構「いい人」だった気がします。
そうは言っても一人の人間が考えてやることですから、できることもできないこともあります。
失敗もしましたし、迷惑がられることもありました。
おまけに、普通ならそんなことまで手伝わないというようなことも一所懸命手伝った結果、そのことをまるで当たり前であるかのように扱われたりもしました。
そしてそういうことがある度に思ったのです。
「せっかく手伝ったのに!」
そうなんです。これをお読みの皆様なら、既にお気づきですね。
「そんなことを思うんだったら、最初から手伝わなきゃいいじゃないの。」
ということです。
実は人様のためと思ってしていたことは、自分に対する評価のためだったということに、最近になってようやく気づいたのです。
よく振り返ってみると、人様に喜んでいただこうと何かをする度に、それをしている自分に対する評価をどこかで求めていたということがわかりました。

それに気づいた実際の事柄のあらましは次のとおりです。
わたくしが好意でお手伝いしてることについてその相手であるお友達に、あるときふとその効果を尋ねてみたことがありました。
そのとき、わたくしのおこなったことが何の意味もなさないかのような、大変否定的な答えが返ってきたのです。
わたくしは心の中で「せっかくしてあげたのに」と思いました。
そして、そう思った自分に驚きました。
「これは、えらいこっちゃ」
何がえらいことかと言いますと、自分が、自分のおこなったことについて、相手から何か肯定的な評価や、あるいは希望的な結果を期待する声が返ってくるものと思い込んでいたことに気づいたのです。
自分のおこなっていたことは、好意でしていたのではなく、自分を評価してほしいからしていたのだと、そのときになってはじめて気づいたのです。
そこでわたくしは思いました。
「これは止めなあかん。」
その結果、友達に特に連絡することもなく、勝手にやめました。
以後、別にこれと言った揉め事も起きていませんし、わたくしがお手伝いしなくてもどうということがなかったようです。ということは、実に無駄なことをしていたのでしょう。
今となってみれば、お手伝いそのものは一人でマイペースに楽しくできたのですから、そのことを喜んでいればよかったなと思うだけです。

さて、題名は「『いい人』になろう!」でした。
しかしこう書いていると、「頼まれたことを引き受けない」とか、「評価を求めるのならやめてしまう」とか、およそ「いい人」からは遠ざかる方向に行きますね。
しかし、わたくしが言いたいのは、「断ろう」ということではなく、どんどん引き受けようということなのです。
矛盾してますよね。
ではこれでどうですか?
「楽しいことを引き受けよう!」
「引き受けたことを楽しもう!」
これでまとまるでしょうか。
そうなんです。せっかくですから、引き受けたことや誘っていただいたことを必ず楽しむようにするのです。評価や結果は気にしないで、その行為そのものを一所懸命楽しみましょう。そうすれば幸せを感じることができますし、おこなわせていただいたこと、そのチャンスをいただいたことに感謝の気持も出てくると思います。
それでもどうしても楽しめそうもないもの、そういったものはお断りしてよいと思います。
それでいいのではないかと思います。
「わたくしには荷が重過ぎます」とか、
「もっと適任の方がいらっしゃると思います。」とか、そんな言葉があります。
物は言いようですから、言葉をきちんと使って誠実にお伝えしたいものです。
また、元気に楽しくはじめても、途中でどうしてもだめになったとき、気持が萎えてしまったとき、心身に無理がかかってきたとき、そんなときはどうすればいいでしょう。
そういうときは、無理をせずに休めばいいのです。
そして、楽しかったときを思い出してみましょう。
楽しかったときを思い出して、その行為に幸せや感謝の気持がたくさんあれば、まだまだやれるかもしれません。
それでも、気持が戻らなかったり、楽しかったときを思い出してもそこに戻りたいと思わなかったりしたら、きっぱりとやめましょう。
誰か人に影響を与えることでしたら、誠実に正直に気持を打ち明けて、そしてそれまで続けさせてくださったことに感謝をすれば、必ずそのあとにきちんとした適任者を選んで、何事もなくはこんでくさるはずです。

感謝をすること、幸せを感じること、この二つの事柄ができていれば、きっとどんなことも楽しくやっていけると思います。
そうして、できることをどんどんこなしていけば、自分が人様にとって「いい人」かどうかは別にして、自分自身にとってはとても「いい人」になるのではないかと思います。
そうすると、人様の評価は基本的には気にならなくなります。
ですから、ご自分でこんな評価をなさってはいかがでしょう?
「自分、なかなかいい人やな。ちょっとわがままやけど、それもチャームポイントや。」